今から110年前、明治43(1910)年6月14日に『遠野物語』350部が柳田國男(1875~1962年)の自費出版本として刊行されました。佐々木喜善(きぜん)が語る、故郷・岩手遠野郷の怪異譚を柳田は簡潔に、しかし情熱的に、119からなるエピソードとして書き留めます。そこには、さまざまな妖異・怪異が、具体的地名と地勢、体験者の氏名入りで、リアリティをもって写し取られていました。日本民俗学の本格的開闢を告げるこの記念碑的名著は、今なお多くの人々を惹きつけています。
たそがれの国「遠野」は、少年國男の中で準備されていた
「日本民俗学の父」とも称される柳田國男は、明治8(1875)年7月31日、兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)の街道筋の旧家・松岡家の六男として生を受けました。家系は代々医家で、父・操も医学を修めていますが、大家族ながら家は小さく、裕福とはいえない暮らし向きでした。長兄・鼎(かなえ)は23歳になると千葉県検見川で医者として働き始め、やがて茨城県北相馬郡布川町(現・利根町)に済衆医院を開業、まずは12歳の國男を呼び寄せ、ついで両親と兄弟を呼び寄せて常総地域の利根川河畔で暮らし始めました。この地での農民の生活困窮(常総地域の農民たちの克明な生活は同時期の長塚節の小説『土』により活写されています)に國男は衝撃を受けます。そして利根川のほとりの地蔵堂で、とある絵馬を目撃します。
その図柄が、産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それに角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子ども心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている。(柳田國男『故郷七十年』)
飢えや疫病、災害や戦争の頻発する中で必死に生きる「常民」が紡ぎだしてきたさまざまな習俗・信仰の本質にあるものは何か。これは、後の民俗学者・柳田國男の原点ともいえる体験となります。しかし、読書家の國男がまず目指したのは文学の世界でした。
(夕ぐれに眠のさめたるとき)
うたて此世はをぐらきを 何しにわれはさめつらむ いざ今いち度かへらばや うつくしかりし夢の世に (『文學界』明治二十八年十一月号)
午睡から覚めて「夢の世」から「この世」に戻ってきた青年國男。朝ではなく、ひぐらしが彼方で遠く響くようなたそがれの中目覚めた彼は「現世よりも、美しい夢の世界に帰りたい」とつぶやくのです。詩人で評論家の吉本隆明は、柳田民俗学を、「薄暮の感性が見せる村民(遠野や、布川や、彼が経巡った日本中の村の)たちとの共同幻想」に喩えています。21歳のときに國男は母と父を相次いで亡くします。また当時、三年間一途に思い続けた14歳の少女が結核を患い、転地療養で二度と会えなくなります。『遠野物語』というたそがれの中の「かくり世」は、こうして國男の前に出現する準備を整えていたかのようです。
遠野物語には日本の古層から現代までの「神」の息吹が凝縮されている
國男は東京帝国大学法科大学政治科(現・東京大学法学部政治学科)卒業の後は農商務省(1881~1925年まで設置された中央官庁。その後農林省と商工省に分省)農務局に入省、日本各地の農村の調査視察を通して日本常民の習俗・文化に触れ、日本人・日本文化の本質や特性について思索を深めるようになりました。26歳のときには信州柳田家と養子縁組をし、「柳田國男」となりました(以降、柳田と記述)。
「農民はなぜ貧なりや」という救民思想を掲げて職務に尽力するかたわら、「イプセン会」「龍土会」などの文学サロンを自宅に立ち上げ、田山花袋や島崎藤村、国木田独歩ら多くの文学者や文学志望者とも交流しながら三十代の壮年期を迎えます。そして1907年11月、歌人で心霊研究家の水野葉舟(1883~1947年)が、早稲田大学文科の後輩・佐々木喜善(きぜん1886~1933年 当時は佐々木鏡石の号で若手作家として活動中)を伴って柳田を訪いました。
19世紀末から20世紀初頭は、ヨーロッパは空前の心霊研究・オカルト趣味のブームで、文学や芸術にも多くの心霊的な作品やアプローチが見られました。日本にもその影響は波及し、水野葉舟も各地の怪談・怪異譚をまとめて紹介したり、海外の心霊文献の翻訳を行ったりもしています。水野は佐々木喜善が語る故郷遠野近辺の怪異な体験談を高く評価し、柳田に紹介。柳田もその話に夢中になります。佐々木喜善が語る「遠野」という幽玄の彼方にあるかのような地名と、その地に現れる異形・異界の存在、そして死者との交流。佐々木の語る逸話は、柳田の手により、『遠野物語』という稀有な伝承譚として、明治末期の富国強兵で近代化される世に放たれたのです。文芸評論家の山本健吉は次のように述べています。
佐々木はおそらく、不思議な伝承型の頭脳で、次から次へと限りもなく彼が繰り広げる話題に、まだ見ぬ遠野郷とそこの住民たちの世界が、眼前にまざまざと躍動してくるように思われた。氏(※註 柳田國男のこと)の脳裏に描き出された小盆地は、まるで氏のために存在したのではなかったかと思えるほど、氏の関心する風景に充ち充ちていた。(山本健吉)
『遠野物語』には、山の神、里の神、山人、山女、河童、天狗、幽霊などの全国区の妖異・神から、ざしきわらし、経立(ふったち)、カクラサマなど北東北、とりわけ岩手と深く関わる妖異・神にくわえ、お犬(狼)、熊、狐、鹿などの動物もまた、不思議な霊力と知性を持つ尊ぶべき異界の存在として描かれています。妖怪についてや怪異体験談ばかりと思われがちですが、地名の所以や縁起譚、他愛ない村人の野花を摘んで行う遊びやクスッとなる鳥の名前の由来、古くからの言い伝えや習俗についても多く挿入されており、読み継いでいくと日常次元の出来事と怪異な出来事が次第に溶け合い、遠野郷の中で息づいている村人やさまざまな生物、非生物の環の中に入っていくような不思議な感覚を覚える作りになっています。おそらく手本にしたであろう日本書紀や風土記、今昔物語集の語り口と同様、神話を事実のごとく語り一気に読者を大きく異界へと引きずりこみます。
遠野物語を紹介した多くのメディアで取り上げられ、とりわけ有名な大津波で亡くなった亡者が現れる九九番。「土淵村の助役北川清」が、明治三陸地震の大津波で亡くした妻があるとき現れ、話を聞くと浮気をしていた村の男とあちらで仲良く夫婦になっている、と語る話。まるでこれは黄泉の国に行ってイザナミと会話したイザナギの神話かのようです。
江戸時代中期から後期にかけて採取された怪異体験談や伝承を集めた『耳嚢(みみぶくろ)』(根岸鎮衛)のスタイルの影響も見られます。台湾の土着民の研究でも知られる伊能嘉矩(いのうかのり 1867~1925年)は、佐々木喜善の郷里の先輩で、『遠野物語』に先駆け、蚕神のオシラサマについて研究をまとめて発表しており、佐々木、柳田の遠野伝承の解釈や理解にも影響を与えています。神話伝承の時代から近代の人類学の時代まで、日本人が文字や口承で語り継いできた「民の伝承」が、『遠野物語』に運命的に凝縮され、結晶したといえるでしょう。
異世界はどこにでもある?怪異譚の本当の意味とは
『遠野物語』の序文には、有名な一節があります。
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。
遠野のみならず、人と自然あるところ、神と妖異の物語は数限りなく紡がれている、と語ります。そして貴方たちはそれと向き合い、口をつぐまず人に語れ。脆弱な作り物の都市文明でぬくぬくとしている平地人を驚愕させ、揺り起こせ。なぜなら我々には『今昔物語』などで「今は昔」として語り始められる伝説ではなく、まさに「今」の物語としてそれらは実在しているのだから。と檄を飛ばしています。
それに応えるように、童話・児童文学作家の松谷みよ子(1926~2015年)が1970年代から全国から集めた、怪異譚・不思議譚の集大成『現代民話考』(1985~1996年)が出版されます。それは『遠野物語』で描き出された世界が、遠野という一地方の特異な現象ではなく、全国に、そして現代でも各地で受け継がれていることを証明する記録となっています。異世界への入口は遠野郷という特殊な地域に設定された「テーマパーク」ではなく、あらゆるところに存在し、そして私たち一人ひとりがそれを発見しうるものだということを示唆しています。
たとえば筆者にも、不思議と感じる体験はいくつかあります。現在はニュータウンの開発が進んでいますが、以前は一面の原野にキツネが走り回っていた、北総の農村地域。緑が濃く、中世の伝説が残された古刹・松虫寺があり、何度も足を運んでいる場所です。けれどもそこに出向くと必ずカメラが故障するのです。毎度シャッターが下りなくなり、撮れてもピントがあわずぼやけた写真になるのに、その地域を離れるとカメラの調子が戻るのです。村道で突然大量のドングリが上から落ちてきたり、自分の上だけに降って来る雨雲に追いかけられたり…そのため、何度も訪れているのにその地域で撮った写真がほとんど残っていません。
また、ある谷間では、かの伝説の日本産有名UMA(未確認生物)と遭遇しました。今でもそのときのことははっきりと覚えています。当時、毎日のように散歩していたお気に入りの場所。けれど引越しをすることになり、そうそうは来られなくなる。名残惜しい気持ちでいっぱいだった時期でした。
東日本大震災の後の被災地には、数多くの怪異談や神秘体験が発生した、といわれています。C.G.ユングは『空飛ぶ円盤』の中で、「物質にもある種の心的な能力がそなわり、心もある種の物質性をもっていて、たがいに相手に働きかけることが出来る」「彼岸と此岸の間に橋がまったくないわけではない。」と語り、UFO現象や宇宙人遭遇体験も、この世と異界、意識と無意識、下界と天上界とがつながったときに現れる現象だとしました。「ある」「ない」の二元論ではない何かが、この世界の背後や隣には、たゆたいながらよりそっていることを感受すること。異界との接触は、単なる「怖い話」「珍しいアトラクション」として消費される娯楽ではなく、死者との出会いは誰もが抱える大切な人との死別の傷みを癒し、妖異・怪異との遭遇は人類・人間社会以外の生命や存在などへの共感と畏敬の思いをはぐくみ、人がよりよく生きるための手助けになるもの。それこそを、古くから人は「神」と呼んできたのではないでしょうか。
参考・参照
遠野物語 柳田國男 新潮社
共同幻想論 吉本隆明 角川書店
空飛ぶ円盤 C.G.ユング 筑摩書房
現代民話考 松谷みよ子 立風書房