10月25日は台湾の光復節(こうふくせつ)です。この日は中華民国の記念日で、1945年10月25日、台湾における日本の統治が終わったことを記念する日となります。「フォルモサ」「美麗島」と呼ばれる島・台湾と、日本との縁を振り返ります。
大航海時代から明末清初まで
もともと台湾には、南太平洋系のオーストロネシア語族に属する台湾原住民(先住民族)が、古くから住み着いていました。大航海時代の16世紀半ば、付近を航海中のポルトガル人が台湾の緑豊かな島を「麗しき島(Ilha Formosa)」と称したエピソードから、台湾は「美麗島」「フォルモサ」の別名を持ちます。同じ頃、東シナ海では倭寇や海賊が跋扈し、台湾は彼らの拠点でもありました。また対岸からも漢民族の移住も増える中、17世紀(1624年)には、台湾はオランダ東インド会社の支配下となります。
1644年、明が滅亡、清朝が成立します。このとき登場したのが、日本人を母として平戸に生まれた鄭成功(てい・せいこう)。父親は鄭芝龍(てい・しりゅう)で、当時福建省一帯で最も強い勢力を持っていた海商でした。幼くして父親のもとに渡っていた鄭成功は明朝の再興を目指し、1661年オランダ勢力を駆逐。「反清復明」のための基地として台湾統治に着手しますが、志半ばに急死してしまいます。1683年清朝が鄭一族を制圧、台湾は福建省に編入され、大陸からの移住民も急増します。とはいえ清にとって、台湾は長い間「化外の地」でした。
日本統治時代と二・二八事件
1895年、台湾に大いなる変化が訪れます。日本が日清戦争の勝利による下関条約で台湾を清国から割譲され、半世紀に及ぶ統治時代が始まります。台湾は、近代日本における初の植民地でした。日本は台湾のインフラや教育の整備・産業復興・衛生管理などを加速する一方で、抵抗勢力の鎮圧や、戦時中の皇民化運動も推進。近代化と植民地化が重なった日本の統治は、台湾にとって光と影の両面を示していたのです。
そして1945年8月15 日、日本が連合国に降伏し、第二次世界大戦が終結します。日本人の引き揚げと共に、アジア各地の台湾人の軍人・兵士の帰還が始まり、同年10月、国民政府軍が上陸。台湾は、国民党が率いる中華民国政府の支配下となります。10月25日には祖国復帰を祝う「慶祝台湾光復大会」が開催され、以降毎年同日が「光復節」として、日本統治の終了を記念する中華民国の記念日と定められました。「光復」とは、失われた国土や主権の回復を意味します。
しかしこの後、大陸から新たに渡って来た人々(外省人)と、台湾の元からの住民(本省人)の間に亀裂が深まり、1947年2月28日、国民党政府と住民の衝突で、多数の住民が犠牲になります。この「二・二八事件」以降、台湾には戒厳令が布告され、政治的弾圧が続く白色テロ時代が続きます。戒厳令が解除されたのは、40年後の1987年。1996年には国民の直接選挙による総統選が実施され、民進党の李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が消滅したのです。
現代台湾文化を発信する「誠品生活」
政治に翻弄された台湾の人々が自由に発言できるようになってきたのは、これほど最近であったことに驚きます。そして多民族が共生する台湾では、新たに台湾独自の歴史を振り返り、未来に繋げて行く物語が求められています。たとえば内省人である映画監督の魏徳聖(ウェイ・ダーション)氏は、日本統治時代や原住民の問題を描く『海角七号 君想う、国境の南』『セデック・バレ』『KANO』などの作品で共感を呼びました。
そして、現代台湾の成熟文化の象徴ともいえる「誠品生活日本橋店」が、先月「コレド室町テラス」にオープンしました。1989年、文化とアートが融合した書店作りを目指し、「誠品書店」を台北に創業した故・呉清友氏。直後に大病を患い、手術によって一命を取り止めます。その後の人生の目的を夢の実現に定めた呉清友氏は、「人文、藝術、創意、生活」の提供を事業理念に掲げ、店舗網を拡大。「誠品生活」の業態はすでに書店の枠を超え、都市文化や芸術工芸、そして気軽な台湾グルメを体感できるカルチャーストアとなっています。
スタイリッシュな空間ですが、「誠品生活」では、台湾のようにゆったりまったりお店を探検できそうです。そして機会があれば、美麗島・台湾の現地で歴史を振り返りつつ、いつの時代も変わらぬ人々の優しさ、あたたかさに触れる時を過ごしたいものです。
【参考文献】
伊藤潔(著)『台湾―四百年の歴史と展望―』(中央公論社)
周婉窈(著)濱島敦俊(監訳)『図説 台湾の歴史』(平凡社)