8月も後半に入りました。慶長3(1598)年の旧暦8月18日は、室町末期から始まった幕府支配の弱体化・崩壊による長期的な戦乱状態「戦国時代」を制圧し「天下獲り」を成し遂げた、豊臣秀吉が62歳でこの世を去った日です。その秀吉の旗印と言えば、金色に塗られたヒョウタンを逆さにして柄の先端に取り付けたもの、というのは有名ですね。そしてちょうどこの時季は、ヒョウタンとその一変種であるユウガオの花期にあたります。同じウリ科の野草・カラスウリのレース編みのような花と同様、日暮れとともに咲き朝にはしぼんでしまうため、あまり知られることはありませんが、夕闇に青白く浮かび立つなかなか美しい花なのです。
サイズも形もさまざま。ヒョウタンの造形美は人を魅了してきた
暦上では秋とはいえ、高温化が進む近年では体感的には夏真っ盛り。この時期、スイカやキュウリ、カボチャ、メロン、ヘチマ、ニガウリなど、ウリ科の果実が真っ盛りですね。そして、干ぴょうの原料となるユウガオ、ユウガオの食べられない原種とされるヒョウタンも、ウリ科の一族らしく花期を迎えています。
ヒョウタン(瓢箪 Lagenaria siceraria var. gourda)は、ウリ科ユウガオ属の一年生のつる植物。雌雄同株で、夏から初秋(7月~9月)の夕方、花弁外縁がちりちりと縮れた五弁花を咲かせます。雌花が結実して果実となったものを、中をくりぬいて外皮を乾燥させて加工したものが、容器や、最近では民芸品や骨董としての印象が強い「ヒョウタン」となります。もともとは「瓢」一文字でヒョウタンをあらわし、日本では「ひさご」といい、「箪」はもともとは竹を編んだ籠で、ご飯などを盛り付ける器の意味でした。「論語」雍也編に「賢なるかな回や 一箪の食 一瓢の飲」とあり、瓢で飲み物を飲み、箪で食べ物を食べる、ということでワンセットで語られるうち、いつしか瓢を「瓢箪」と呼び習わすようになったようです。竹と並び、容器や楽器、漁具や装身具など、世界中の人々に長く使用されてきた身近な、そして最古の栽培植物の一つです。
中央がくびれて上部と下部に丸いふくらみのある独特の「ひょうたん型」の形は突然変異で、必ずしもあのような形になるものではなく、スイカのようなボール型、マクワウリのような枕型、棍棒型、甕型、しゃもじ型(下部がふくらみ、上部は細長い筒になった形で、縦に二つに割ると柄のついた水汲み道具・柄杓として使える)など実は多種多様。そして大きさもさまざまで、お守りやストラップになるような大きさ2センチのかわいいものから、胴回りが2m近く、風呂釜も作れてしまうほどの特大サイズ、、長さ3メートル以上にもなるお化けのような長瓢まであり、果実に同一種でこれほど変異差がある植物は他にはない、といわれます。バリエーションが豊かなため、ヒョウタン集めやヒョウタン作りを趣味にしている人も意外と多いものです。志賀直哉の小説「清兵衛と瓢箪」では、12歳の小学生清兵衛が、ヒョウタンの魅力に取り付かれ、やがてそれを周囲の大人たちにとがめられ、禁止されるまでの顛末を描いています。その中でも、清兵衛が取り上げられたヒョウタンが金持ちのヒョウタン好きに転売されて高値で買われた描写があり、当時からヒョウタン趣味がスタンダードなものだったことがわかります。
そんなヒョウタン、大きな実が生るのですから食べられればいいのですが、ウリ科の毒成分であるトリテルペン系のククルビタシン(cucurbitacin)を多く含有し、苦味が強く食べられません。ゴーヤの青い実の苦味成分も、このククルビタシン由来のものです。唯一食べられるヒョウタンがユウガオの実で、これを干したものがカンピョウ(実が長くなるナガユウガオと、真ん丸い実になるマルユウガオがありますが、主に加工されるのはマルユウガオの実)です。なのでカンピョウは「干瓢」=干した瓢、というわけです。ユウガオの実はカンピョウとして食べるのが一般的ですが、東北や北陸、北関東の一部では、干さずに切った実を炒めたり、煮物にして食べたりもします。
人類の原器・ヒョウタン。アフリカ大陸から世界へ
ヒョウタンの原産地はアフリカで、人類がアフリカを旅立ち、世界中へと散らばっていくのにあわせて、優れた水筒容器、食器として携行されて全世界に広がったとされ、日本列島にも約9,600年前に伝わった痕跡が遺跡から出土しています。特に西アフリカ、ギニア湾岸地域のギニア、マリ、ニジェール、ナイジェリアのニジェール川流域は、ヒョウタンの有力な原産地といわれます。
現在でも、アフリカ各地でスイカよりも大きな巨大なヒョウタンが作られ、そば打ちのこね鉢のように大きなヒョウタン容器を女性は頭に載せて食べ物や洗濯物などの運搬に使用していますし、子供のための風呂桶にもなります。長い形のヒョウタンは、水がめとしてだけではなくヨーグルトや酒などの発酵容器としても使われます。特大サイズのヒョウタンは100リットルほども水を貯められます。
ヒョウタンの楽器も数多く知られています。大きなヒョウタンを胴として用いた太鼓「ベンドレ」「バラ」や、皮を張った半切りのヒョウタンを共鳴器にし、21本もの弦を張った弦楽器「コラ」、ラテン音楽やアフロ音楽で使用されるパーカッション楽器「ギロ」、小型のヒョウタンにビーズをたくさんぶら下げ打ち鳴らすマラカスの一種で見た目がかわいい「シェケレ」「ワサンバ」、シロフォン(木琴)の共鳴器にヒョウタンを使用したカリンバ(またはムビラ)や、皿型のパーカッションや笛、水に浮かべて叩くウォータードラム「ギドゥヌ」など、そのバリエーションの多さは目を見張るものがあり、間違いなくヒョウタンの故郷はアフリカだと理解できます。それが世界に広がり、やはりヒョウタンを使用するインドの有名な弦楽器シタールや中国の葫芦絲 (フールース)なども生み出していったのでしょう。
幸いも災厄も…そこから全てが飛び出した?
中身が空洞のヒョウタンは、神話では宇宙や人間を生み出した始原の存在という位置づけをされるパターンが多いことも知られています。中国西南部の山岳地の少数民族、苗(ミャオ)族・瑶(ヤオ)族や、インドシナ半島やミャンマーなどの東南アジアに分布する少数民族の大洪水の神話には、ヒョウタンが登場します。
太古大洪水が発生し、地上の生き物は皆溺れ死んだ。しかし、ある兄妹は大きなヒョウタンの船に乗って難を逃れ、二人だけが生き残った。水が引くと兄妹は夫婦となり、やがて男の子が生まれた。しかしその子は瓜児(手足のない赤子)だったので、両親は怒り、その子を切り刻んで山にほうり捨てた。するとその殺された子供から今の人間たちが生まれ出てきた。
身もふたもないほどひどい話にも思えますが、神話とはそもそもこのようなもので、現実の感覚とはまったく違う文脈の上に置かれたもの。C.G.ユングはこれを元型(アーキタイプ Archetypus)と呼びました。世界中にある大洪水神話、そしてハイヌウェレ神話(殺された神の死体から作物が生まれる神話)という二つの典型的モチーフに、イザナキイザナミとヒルコの神話の元となった物語が絡み、非常に面白いものです。ハイヌウェレ型神話では、神の死体から生ずるのは作物なのが通常で、日本神話の保食神(ウケモチ)やワクムスビの神話でも同様なのですが、この神話では殺された神(兄妹神から生まれた赤子もまた神でしょう)の死体から、人間が生まれ出るのです。この特異な結末は、人類の祖である神がヒョウタンの船に乗ることで新しい世界がはじまったという経緯と関係があるように思われます。アフリカではヒョウタンを人間、特に女性の象徴とみなしていました。兄妹神は、「ヒョウタンの船」という母体から地上に産み落とされた、と解釈できるわけです。
そしてそのアフリカでは、ヒョウタンから人類を苦しめるあらゆる災厄が飛び出してきた、とする神話も語られます。ギリシア神話のパンドーラー( Pandōrā)という女の、災厄の箱(甕)を開けてしまうという行いから全ての災厄が撒き散らされた、とする元型の神話です。これもまたヒョウタンを女性の象徴としていたことと関係があるものでしょう。
中国や朝鮮半島には人類ヒョウタン起源譚は伝わるのに、日本にはなぜかヒョウタンから人類が生まれ出た系の神話はありません。そのかわり「宝ふくべ」などの民話では、ヒョウタンからさまざまな財宝やおいしいものなどの福が飛び出す、という幸福や成功招来の縁起物として扱われる傾向が多かったようです。平民から成り上がって天下人になった豊臣秀吉が旗印として使ったからか、あるいはもともとそうだったからこそ秀吉は旗印に使ったのか定かではありません。水神である河童とヒョウタンの関係も深いものがあり、「河童はヒョウタンを嫌う」という言い伝えと、「河童へのささげものはヒョウタンがよい」とする言い伝えの両極端があります。河童がキュウリを好む、という伝説も、ヒョウタンが起源ではないかと思われます。水神が好むというヒョウタンから飛び出すのは、「幸」「福」「楽」だけであることを願いたいですね。
参照
田園祝祭~ヒョウタン文化の系譜 (熊谷治 旺文社)
植物の世界 (朝日新聞社)
清兵衛と瓢箪 (志賀直哉 新潮文庫)