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世界の実在を賭けての不可知なるものとの戦い。6月30日「アインシュタイン記念日」


6月30日は、アインシュタイン記念日。世界でもっとも有名かつ偉大な理論物理学者アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein 1879~1955年)は、スイス特許事務所に勤めていた無名時代の1905年、後年極めて重要で画期的な論文と評価されることになる「光の発生と変換に関する発見法的観点について」(3月 光量子論)、「熱の分子運動論が要求する静止した液体中の微小な粒子の運動について」(5月 ブラウン運動理論)と並ぶ三つの最重要論文の一つ、特殊相対性理論をはじめて提示した「運動する物体の電気力学について(Zur Elektrodynamik bewegter Körper)」を6月30日の日付で物理学術誌「Annalen der Physik」に発表します。そしてこの日は歴史的な「相対性理論誕生の日」となったのです。


3級技術士アルベルトが世界を塗り替える論文を連発した奇跡の年1905年。その時代背景とは

単純な比較は容易ではないとはいえ、後世への影響度の大きさと重要性、インパクト、著名度などから、史上三大物理学者と言えば、アルキメデス、ニュートン、アインシュタインとするのがもっとも一般的です。相対性理論と量子論(量子力学/波動力学)というとてつもない理論双方の誕生に大きく寄与し、現代物理学の扉を開いたアインシュタインは20世紀最大の天才物理学者、ともいえるかもしれません。

そんな「天才」の代名詞のようなアインシュタイン。1879年ドイツのシュヴァーベン地方のウルムで、ユダヤ人の家庭に生を受けました。さぞや超神童の少年時代だったのかと思いきや、26歳で相次いで重要論文を発表するまでは、意外なことに学校の成績もよくなく、中等教育のギムナジウムを退学処分になったり、浪人の果てに入学したチューリヒのスイス連邦工科大学では卒業後に望んでいた教授職にも就けず、スイス特許事務所に3級技術士としてようやく就職するなど、後の活躍と比較してみれば、さほど華々しいとも言えない人生を送っていたのです。アルキメデスとニュートンが多才さを発揮し、数学者、哲学者としても超一流の超人だったのと比べて、彼の生涯は理論物理学一筋にささげられたものでした。

19世紀後半の中央ヨーロッパ。ドイツは当時、1871年以来「鉄と血」の演説で知られる宰相ビスマルクの時代でした。ドイツは国家政策として鉄鋼産業を中心にした科学技術立国政策が進行していました。国家は高熱と光を発する溶鉱炉から良質な鉄を得るための技術改良を目指し、物理学者たちの関心も、物質と光・熱の関係に集中し、電磁気学、熱力学という新たな物理分野が生まれつつありました。

当時の物理学は万有引力で有名なニュートン(Sir Isaac Newton 1642~1727年)により設定されたモデル、世界は「絶対空間」(いかなる外からの作用にも変化しない均質で永続する場)と「絶対時間」(いかなる外からの影響も受けない均質でゆるぎない持続性)を前提としていました(ニュートン力学)。ところが、熱輻射やそれにより発生する光の現象を観察してみると、ニュートン力学と矛盾する現象が数々観測されるようになったのです。

「電磁場の動力学的理論」(1865年 J.C.マックスウェル)と、それに基づくヘルツの実験により、「光は波動である」という結論となり、ニュートンの光粒子論は否定されます。

光が波動ならば、さざ波を起こす水のように波動を伝える何らかの物質が必要です。19世紀初頭に仮定された「宇宙を満たすエーテルETHER  Æther 」仮説の、エーテルの実在を示す観測が行われるようになります。それが「マイケルソン-モーリーの実験」(1887年)です。この大規模な観測実験によって出された数値は、光を媒介するエーテルなるものの存在を証明はできないというものでした。エーテルが存在しなければ光(電磁気)が波動であるとする説と矛盾するため、ローレンツは「エーテルの風を受けると物質は縮む(ローレンツ収縮)ので、観測してもあたかもエーテルはないかのように見えてしまうのだ、と主張しました。

そして同時期に、物体に光熱を与え、物体からエネルギー輻射(電子の放射)を観測すると、光が波動ならばエネルギー量の増加にあわせて本来連続して上昇するはずなのに、エネルギー輻射(放射)スペクトルが整数ごとにとびとびに出現するというエネルギーの不連続性という不可解な現象が確認されます。これは光が粒子であることを示唆していました。

新しい20世紀を迎えようと言う時代、古典ニュートン力学の誤りもしくは欠落を修正するための新しい確固とした理論が提示できず、物理学は史上最大の大混迷の時代を迎えていたのでした。

スイス・ベルンの街並み

スイス・ベルンの街並み


エーテルも絶対時間も絶対空間もない!宇宙の真理の扉を開く「相対性理論」

ニュートン力学に瑕疵があることはわかっても、それに変わる統合的でシンプルな理論はなかなか登場しませんでした。このとき、アインシュタインが光量子論と相対性理論を引っさげて登場します。アインシュタインは相対性原理を示した論文で「時間とは何か」を問いかけ、単純化してしまえば、ニュートンの絶対時間/絶対空間に代わり、アインシュタインは時間と空間は観測者と対象とで共有されず、立場により変容する(相対的)もので、唯一不変なのは光なのだ、としました。「光速度不変の原理」です。私たち門外漢もよく知る双子のパラドクス(浦島現象)も、この理論によって生まれ、後にその正しさも証明されました。

アインシュタインはさらに、1911年から1916年にかけての一連の関連論文で、特殊相対性理論に重力場を組み込んだ一般相対性理論を提示し、重力場の理論を構築し、重力質量と慣性質量は等しいという等価原理を考案しました。また質量は空間を曲げるという理論や赤方偏移(せきほうへんいの理論で、後に宇宙が膨張していることがつきとめられます。その存在に言及した「重力波」の現象について、ついに2016年、はじめて観測され、相対性原理は今もなお理論としての普遍性を証明し続けています。

携帯の位置情報などで日常的テクノロジーとなっている全方位システム(GPS)も、相対性理論がなければ成り立ちません。特殊相対性理論により、地球の上空を周回(慣性運動)しながら位置情報を送り続ける衛星は、地球上より時間の進みが遅くなります。しかし一方、一般相対性理論により、地上より弱い重力場の上空にある衛星は時間の進みが早くなります。その早くなる現象と遅くなる現象の引き算で、GPS衛星では地表の時計に比べてわずかに時間の進みが遅くなり、この遅れを放置すると一日に位置情報が9kmもズレてしまうことになるのです。このため、相対性理論に基づき、衛星の時計は補正が施されています。

相対性理論はあの有名な宇宙生成説ビッグバンやブラックホール理論も導き出しましたが一方で、「もっとも有名な物理公式」ともされるE=mc2(質量とエネルギーの等価法則)は、原子爆弾の製造の根拠となったといわれ、このためアインシュタインは「原子爆弾の生みの親」というダーティーな悪名で呼ばれることもあります。しかし、広島と長崎に原子爆弾が落とされたことを知ると、アインシュタインは「なんということだ」と絶句し、その悲劇を嘆いたといわれます。


世界は実在するのか?量子力学派との全面対決

アインシュタインが光量子論で産み落としたもう一つの巨大な落とし子、「量子力学」は、相対性理論が宇宙、つまりマクロの世界を提示するのに対し、超ミクロの世界の不可思議な物理現象を論じたものです。プランクの提示したエネルギー輻射の不連続現象から、アインシュタインは「光量子」(light quantum)を提示(現在では光量子は光子=photonと呼ばれ、素粒子物理では電磁力を担う量子常態の素粒子であるとされます)し、これはルイ・ドゥ・ブロイの物質波理論として受け継がれ、量子力学の理論構成の一翼を担うことになります。現代のあらゆる電子機器・電気製品に組み込まれている半導体集積回路は、量子力学の理論なしには発明されないものでした。しかしこの量子力学とアインシュタインは、後に生涯をかけた対立・対決を余儀なくされることになります。

1911年、エルネスト・ソルベイがベルギーのブリュッセルで、最先端の物理学者たちが議論をする第一回ソルベイ会議(The Solvay Conferences on Physics)を開きます。そして二年後にはニールス・ボーア(Niels Henrik David Bohr 1885~1962年)が原子の量子モデルを提示して、本格的な量子力学による「世界解釈」がはじまります。

第五回ソルベイ会議(1927年)では、テーマは「「電子と光子」で、ヴェルナー・ハイゼンベルクによって提唱された量子力学の不確定性原理など、量子力学の解釈を巡る激しい議論が交わされました。中でもアインシュタインと、量子力学の旗手ニールス・ボーアが、連日にわたり討論をします。それはまさに、現代の神学とすら喩えられる、深遠で不可解なもので、もはや実証物理というよりは、「世界をどう解釈するのか」「実在とは何か」という観念哲学とすら思えるものでした。「不確定原理」ともいわれる量子力学の理論では、アインシュタインが信奉していた因果律すら否定されることになります。遠い位置にあるAとBが同時に因果律も関係なく共鳴する現象。箱の中の毒薬とともにあるネコは、箱を空けて中身を見るまで、生きていると同時に死んでいるとする確率解釈理論(シュレーディンガーの猫/Schrödinger's cat)。

確率論と不確定性が理論の基礎である量子力学をアインシュタインは「神はさいころを振らない」と批判します。量子力学で理論的に導き出される異様で突飛な現象を「お前らの言ってることが正しいんなら、こういうことになっちゃうよ?」と鋭い指摘を次々にアインシュタインは繰り出します。ボーアは時にそれに困惑し、返答につまりながらも、翌日にはそれに対する反論を用意して渡り合います。そしてアインシュタインの信念とは裏腹に、量子力学が示す奇妙でオカルト的とすら言える事象は次々と正しい(ありうる)ことが証明されていきます。なぜそうなるのかは、ボーアたち自身にもわかっていないとはいえ、ともかくそうなってしまう。そしてアインシュタインによる量子論批判の思考実験は、結果的に大きく量子力学の発展に貢献したのです。

最新の量子力学理論では、この宇宙そのものが実在ではなく、二次元世界で生起していることが、三次元空間に映写機のように投影された映像、つまりはこの世は幻であるという理論すら提起されています。普遍の法則によって構築された確固たる実在を信じたアインシュタインが生きていたらどう言うのだろう、と興味がありますが、いかなる理論も正しいとなれば、それを認めた上で考察をやめなかったでしょう。アインシュタインは少年の日、「光と同じ速さで走ってみたら光はどんなふうに見えるんだろう」と考えたと述懐しています。少年時代のその夢想を「見る」ためにアインシュタインは生涯考え続けました。「ニュートラルに考え続ける」ということの大切さと偉大さを、アインシュタインは私たちに示してくれているように思います。

参考文献・資料

わが相対性理論 (A・アインシュタイン 白揚社)

物質と光 (ドゥ・ブロイ 岩波文庫)

運動物体の電磁力学について A. アインシュタイン(日本語訳)

ローレンツ変換:http://osksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~naga/kogi/handai-honor07/lorentz-honorsemi.pdf

マイケルソン・モーリーの実験

「アインシュタインは正しかった」 相対性理論の予言の一つを初確認

アインシュタインの予測から100年、重力波を直接検出

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