1853(嘉永5)年、現在の熊本県阿蘇郡に生まれた北里柴三郎は、東京医学校(現・東京大学医学部)で予防医学の道を志すと、1890(明治23)年、37歳で破傷風菌の抗毒素(免疫体)を発見し「血清療法」を開発します。
その後、日本初の伝染病研究所や結核専門病院を開設。またペスト菌を発見し、死の病ペストの国内拡散を防ぎました。1914(大正3)年には61歳で医学研究機関「北里研究所」を創立、狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発を続けました。
今回は、近代日本医学の礎を築いた偉人、北里柴三郎のゆかりの地をご紹介しましょう!
北里柴三郎記念館/熊本県阿蘇郡
北里柴三郎は1853(嘉永5)年1月、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里に庄屋の長男として生まれました。生家の一部が郷里の「北里柴三郎記念館」に保存されています。「北里柴三郎記念館」は1987(昭和62)年、北里研究所・北里大学の協力で北里柴三郎の遺志と偉業を伝える為に設立され、館内には1916(大正5)年に北里柴三郎から小国町へ寄贈された北里文庫も。当時の蔵書数1511冊は熊本県立図書館につぐ規模で、終戦時まで多くの人に利用されたそう。設立103年となる現在は、北里柴三郎に関する遺品などを展示し、その遺志と遺業を伝えています。
北里柴三郎記念館
■所在地 熊本県阿蘇郡小国町北里3199
■アクセス 【車】九州自動車道「九重IC」より約20分
■天候など諸事情によって条件が変わることがありますので、詳しくは一般財団法人 学びやの里オフィシャルサイトをご確認ください
東京大学 医科学研究所 近代医科学記念館/東京都港区
「血清療法」によって世界に名を轟かせた北里柴三郎は1892(明治25)年、39歳で日本初の伝染病研究所「大日本私立衛生会附属伝染病研究所」を設立します。これは福沢諭吉の援助によるもので、芝公園の福沢邸の一角に伝染病予防と細菌学の研究の場を得たのです。後に「国立伝染病研究所」となり現在の港区白金台に移転、1967(昭和42)年に東京大学医科学研究所となりましたが、設立以来日本の伝染病研究の中心として(現在ではがんや難治疾患も対象に)最先端の研究が続けられています。近代医科学記念館では、その歴史が貴重な資料とともに紹介されています。
東京大学 医科学研究所 近代医科学記念館
■所在地 東京都港区白金台 4-6-1
■アクセス 【電車】東京メトロ「白金台」駅よりすぐ
■天候など諸事情によって条件が変わることがありますので、詳しくは東京大学医科学研究所オフィシャルサイトをご確認ください
北里研究所 北里柴三郎記念館/東京都港区
1914(大正3)年に「北里研究所」を創設した北里柴三郎は翌年、芝白金三光町にドイツ国立伝染病研究所をモデルにしたバロック調建築の社屋を建てます。当時の社屋は文化的にも価値が高いことから愛知県犬山市の博物館明治村に移築されましたが、「北里研究所」は、1918(大正7)年に社団法人、2008年(平成20)年に学校法人となり、現在に至るまで画期的な研究成果を残し続けています。2017(平成29)年、北里研究所 白金キャンパス内に「北里柴三郎記念館」が完成。北里柴三郎の学術研究論文や公的活動に関連した資料などを展示しています。
北里研究所 北里柴三郎記念館
■所在地 東京都港区白金5-9-1 北里研究所/北里大学 白金キャンパス
■アクセス 【電車】東京メトロ「広尾」駅・「白金高輪」駅より各徒歩10分
■天候など諸事情によって条件が変わることがありますので、詳しくは学校法人北里研究所オフィシャルサイトをご確認ください
北里柴三郎の墓(青山霊園)/東京都港区
北里柴三郎は恩義のある福沢諭吉に報いるため1917(大正6)年、慶應義塾大学医学科を創設し初代医学科長、付属病院長となります。1923(大正12)年には70歳で日本医師会を創設、初代会長に就任し、各種医学団体や病院の設立、医療行政や衛生の普及にも努めました。1931(昭和6)年6月13日、脳溢血により78年の生涯を閉じた北里柴三郎は現在、青山霊園に眠ります。今の私たちの健康があるのは、近代日本医学の礎を築いた北里柴三郎のおかげ。新千円札もその感謝を忘れず使いたいものです。
北里柴三郎の墓(青山霊園)
■所在地 東京都港区南青山2-32-2・青山霊園
■アクセス 【電車】東京メトロ「外苑前」駅より徒歩7分
■天候など諸事情によって条件が変わることがありますので、詳しくは都立霊園オフィシャルサイトをご確認ください