11月17日より、立冬の末候「金盞香(きんせんかさく)」となります。意味は、金盞花(ホンキンセンカ)が咲きにおう頃、と言う意味。ホンキンセンカは別名「冬知らず」とも言われ、初冬のこのころから日差しを求めるように小さな盃のような花を天に向けて差し広げ、厳しい冬を通し咲きついでいます。歳時記等では金盞を水仙のことと書かれているものがほとんどですが、これは正しくありません。立冬の末候が「金盞香」と定められたのは宝暦暦(1755~1798)の改暦からですが、その宝暦暦の作成に携わった西村遠里は、著書「天文俗談」の「七十二候のこと」の中で、「金盞香とは今云金銭花のこと」とはっきりと書いています。金盞は水仙ではなく、文字通りキンセンカのことです。
花は世につれ?忘れられた名花ホンキンセンカ
金盞香の金盞をキンセンカではなく水仙としてしまったのは、江戸時代の初期頃に渡来した二つの品種、ホンキンセンカとトウキンセンカのトレンドが入れ替わってしまったことと関係があります。当初、先駆けて渡ってきた可憐で寒さに強いホンキンセンカ(冬知らず Calendula arvensis)がよく育てられ、日本人にもめでられていたのですが、江戸後期ごろになると、花が大きなトウキンセンカ(Calendula officinalis)の園芸品種が盛んに作られるようになり、濃い橙色のあざやかなむらじ系、中心部が暗紫色になる印象的な芯黒系、一重の長い外弁に取り囲まれて八重咲き花の中心が盛りあがって咲く華やかな丁子系など、あでやかな品種が次々に作出されて、「地味な子」のホンキンセンカは次第に忘れられていきました。
しかし、人気のトウキンセンカは、春にタネをまいての秋咲きも可能ですがそうなると花期が短く花自体も小さくなるため、秋にタネをまき、春の訪れとともに咲き出して初夏ごろまで咲かせるのが主流となりました。よってトウキンセンカのイメージは典型的な春の花になったのです。現在でも、ストックやポピーなどとともに、春の花畑の花摘みの主役ですよね。このことから、「金盞香がキンセンカのわけがない」という思い込みが生まれてしまったというわけです。そして、それならと引っ張り出されたのが水仙です。水仙の雅号は「金盞銀台(きんさんぎんだい)」と言い、この「金盞」が「金盞香」の金盞のことなのだ、というこじつけです。
ところが、その水仙も11月下旬に咲くことはまったくないとは言いませんがめったになく、季節はずれであることはトウキンセンカと変わりありません。こうなってくると、「七十二候に水仙という名花を入れたい」というその時代の人々の贔屓目だけで、無理に水仙にしてしまったとしか言いようがありません。
ところで立冬末候は、貞享暦(1685~1755)では「霎乃降」(こさめすなわちふる)とされていました。初冬に間断的にぱらぱらと降る氷雨をあらわしたもので、日本的な情緒があり、こちらのほうが時候をよくあらわしているように感じます。降り出した冬の氷雨に、花を閉じ遅れたフユシラズの小さな花の盃が受けながら震えている、なんて、なんとも寂しいながらも可憐で美しい初冬の点景ではないでしょうか。
花はどこへ行った…冬花の栄枯盛衰
かつては愛でられたのに、人の移り気によって忘れられてしまった花と言うのはホンキンセンカだけではありません。
冬は花の種類が少なくなる季節で、人の手入れを必要とする園芸品種が主体になるからでしょうか、特にそうした花の流行り廃り、栄枯盛衰の傾向が強いように思います。
サフランやセントポーリアなど、高度成長が一段落して生活に余裕の出てきた1970年代ごろに大人気となったのに、その後のバブル景気やアプレバブルの長期低迷期を通じていつしかあまり見なくなった花もあります。決して消えてはおらず、気をつけて見ていればあちこちで出会うことはあるのですが、注目を浴びることはありません。
セントポーリア人気を駆逐して「セントポーリアに夢中になっていた人がみんなそちらに鞍替えした」とすら言われ、80年代から90年代にかけて爆発的な人気があったシンビジウムやデンドロビウムなどの育てやすい洋ランも、消費者の志向の変化によって、長く低落傾向が続いています。一時期、どちらの家庭の居間にも、鉢物の「シンビかデンドロ」が並んでいませんでしたか?今、そうした家庭を見ることはあまりなくなりました。
クリスマスといえばこれ、というくらいに大人気を誇った季節ものの鉢物にはポインセチア(Euphorbia pulcherrima)もありました。もちろん今でも出回ってはいるのですが長期的に需要は先細り、一時期と比べるとあまり見かけなっています。生産地ではポインセチアの上端の赤い葉を、紫やパステルカラー、金銀のラメで飾るなどの工夫で需要の回復を図っていて、クリスマスシーズンにはカラフルで豪華なポインセチアが花屋の軒先で売られているのを見かけます。人工的に染料で色づけされたポインセチアは、昔の縁日のカラーヒヨコのようで、ちょっとかわいそうに思えたりします。
戸外の植物にも変化はあります。北アメリカ原産の雄大な外来植物、アツバキミガヨラン(Yucca gloriosa L. )もその一つ。ランとついていますがラン科ではなくクサスギカズラ科で、エキゾチックな分厚い長大な葉群れの中から、高さ2メートルにも及ぶ大きな円錐花序をまっすぐのばし、オフホワイトのギンランのような鐘形の大きな花を無数につけます。その姿を豪華な燭台に見立て、英語圏ではOur Load's Candle=我らの主(神)のキャンドルとも呼ばれ、学名のgloriosa=栄光の意味もあいまって、植物学者の牧野富太郎が、それにふさわしい和名は天皇だろう、ということで国歌・君が代から名をとりキミガヨランと名づけました。実際名前負けしない、王様のように立派な植物です。
昭和期には大きな観光地の植栽やホテルの前庭などに植えられることも多く、色あせた70年代頃の観光地のスナップでは、必ずどこかに映りこんでいるくらいよく見かける植物でした。小学校の気象観測のための百葉箱のすぐそばなどにもなぜかよく植えられていることが多かったのですが、それはなぜだったのでしょうか。
南国風の雰囲気を持っていますが耐寒性が高く、秋口から咲き始めた花は、紅葉の時期もすぎて12月に入っても咲き続けます。苔むした神社や寺でもよく見かけ、花の乏しい寒々しい冬の庭先に、キミガヨランとツワブキと山茶花が、白、黄、赤のコラボレーションで咲いている、なんていう景色も今でもときどき見られます。
なぜか「昭和」のイメージが付きまとうキミガヨラン。お寺の付属の小さなさびれた児童公園の植栽の片隅などを見ると、元気に咲きつぐ姿を見られますよ。
大ヒットナンバーで一躍スターに。冬の鉢物の代表シクラメンの今は
贈答用鉢花として大人気のシクラメン(Cyclamen persicum)。布施明が歌い1975年のレコード大賞を受賞した名曲「シクラメンのかほり」で一躍名をはせて、長く冬の花鉢物の帝王的な地位を得ていました。しかし、今世紀に入ってから鉢物シクラメンの人気は低落し、シンビジウム・デンドロビウムと同様に、家庭の鉢花の定番ではなくなりつつあります。
シクラメンの人気がピークの頃は、持ち運ぶのも大変なほどの大型種が飛ぶように売れ、豪華なシクラメンの鉢は裕福な家のシンボルでもありました。
かつては赤か白、ピンク程度の花色しかなかったシクラメンですが、ひだひだのついたフリンジ系やバイカラー、青花系など、次々と新しい品種も出てきて昔と比べてよりどりみどりなのですが、実はもともとかなり栽培管理が難しい植物で、近年の密封性が高くなり、エアコン使用頻度が高まった家屋内では、シクラメンにとっての適度な蒸散や吸水が困難になり、余計にハードルが高くなってしまったこと、主にシクラメンを管理していた主婦層が入れ替わり、志向性や趣味、家にいる時間などが変化したことで手間のかかる鉢物シクラメンを敬遠する傾向が生じたためだといわれています。
ただし、ガーデニング市場の広がりとともに、庭に植える小型のガーデンシクラメンは近年好調で、窓辺のレース越しに咲くシクラメンから、庭先にちょこんと咲くスミレのようなシクラメンを、最近はよく見かけるようになりました。今の子供たちにとってはシクラメンとはきっとそんな小さな庭の花で、かつてはリビングや応接間にデンと鎮座してたなんて聞いたらびっくりするのではないでしょうか。重々しい鉢物のシクラメンが廃れるのは寂しい気がしますが、軽やかに姿を変化させて咲きついでいるシクラメンを見るのもまた、感慨深いものです。
日差しが乏しく、夜間の冷え込みも厳しくなるこれからの季節。いじらしく咲いている花は、それだけで応援したくなりますね。
天文俗談 西村遠里