今日5月2日は「緑茶の日」です。立春から数えて88日目の5月2日頃は「八十八夜」と呼ばれています。有名な童謡「茶摘み」で耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
今回は、お茶と八十八夜の関係とお茶の歴史についてご紹介します。
茶摘みの歌詞にある「八十八夜」って?
「夏も近づく八十八夜」から始まる「茶摘み」という童謡。多くの方々が耳にしたことがあるかと思います。この童謡で歌われている八十八夜とは、立春から数えて88日目の日のことを言います。節分や彼岸と同様に、八十八夜は雑節と呼ばれる暦日のひとつです。この雑節とは、季節の変化を把握して農作業を円滑に進めるために考えられた暦のことを言います。
農作業を進める指標として考えられた八十八夜ですが、この時季の気候を表す言葉として「八十八夜の別れ霜」というものがあります。立夏を目前にしたこの時季は不安定な気候のせいで霜が降ることがあります。この言葉は、夏を目前に降る霜が農作物に被害を与えることを警告する言葉として使われるんだそうです。
しかし、八十八夜が過ぎれば本格的に農作業が開始!八十八夜とは、農作業が始まる合図のような日だったんですね。
末広がりの縁起物
八十八夜に収穫される新茶は、昔から縁起物とされています。昔は初物や旬のものを食べることが縁起の良いこととされていたのです。またこの言葉の中には、繁栄や発展を意味する末広がりの八が二つ含まれています。そのためか、新茶は不老長寿や無病息災の縁起物とも言われていたようです。
新茶は、渋みのもととなるカテキンが少なく、甘み成分であるテアニンが多く含まれています。また、テアニンには集中力アップやリラックス作用などの効果があるんだそうです。新茶特有の爽やかな香りで癒されながら、今年度の発展を祈ってみてはいかがでしょうか。
お茶は上流階級の嗜み?
お茶の歴史は古く、紀元前2700年頃の中国で発見されたのではないかと言われています。発見された当初、茶葉は野草として食されていたのだとか。
そしてお茶が日本にやってきたのは、発見からかなり経った平安初期の815年。中国へ視察へ向かった遣唐使や留学僧が持ち帰ってきたとされています。当初お茶は貴族や僧侶などの上流階級の人々によって楽しまれていました。そんなお茶が一般の人々に広まり始めたのは、江戸時代に入ってからのこと。しかし、上流階級の人々が口にしていたのが抹茶だったのに対して、一般の人々は茶葉を簡単に煮出したものを口にしていたようです。
そんな中、永谷宗円という人物が良質な煎茶の製法を発明しました。宗円が新しい製法を発明する前の煎茶といえば、茶色。しかし宗円が考案した製法によってできたお茶は緑色だったため、当時の茶商たちはなかなか宗円のお茶を買わなかったそうです。しかし、山本屋の当主であった山本嘉兵衛という茶商は違いました。嘉兵衛の目に留まった宗円のお茶は、「天下一」と銘打って売り出されることとなり、煎茶が一般市民の間に定着するようになったのです。
私たちが当然のように口にしているお茶には、こういった歴史があったんですね。
<参考・参照>
伊藤園
永谷宗円茶店
小野園