あと10日でいよいよ12月……。店先ではクリスマスケーキやチキンなどの予約が始まり、街の雰囲気は年末モードに突入しています。そんな折、みなさんは明日11月21日が「フライドチキンの日」と言われているのをご存じですか?
今から47年前の1970年11月21日、ケンタッキーフライドチキン(現・KFCコーポレーション)の日本一号店が名古屋市にオープンしたのですが、これが「フライドチキンの日」と言われる所以なのです。
そこで今日は、ケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダースにまつわるお話です。
白髪にメガネの優しそうなおじいさん「カーネル・サンダース」ってどんな人
白髪にメガネの優しい笑顔。ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースと言えば、まず店先に置かれた人形の姿が思い起こされるはずですが、実はカーネル・サンダースは「世界でもっとも有名なシェフ」と言われた人なのです。そんな彼の起業物語は、ビジネスにおいても、人生においても、大変参考になると言われているのをご存じでしょうか。
母子家庭で育ったカーネルは苦しい家計を助けるために10歳から働きに出て、40種類以上もの仕事を経験しました。そして、30代半ばに初めての起業にこぎつけ、ガソリンスタンドをオープンさせます。その一角に開いたのがたった6席の「サンダース・カフェ」であり、店の目玉商品がフライドチキンだったのです。
幼いころから忙しい母親に代わって、弟妹のために食事を作っていたカーネルの料理の腕前はかなりのもの。このフライドチキンが大評判となり、「州の料理への貢献」が評価され、ケンタッキー州知事より名誉称号「カーネル」を授与されます。カーネルが45歳の時です。
65歳でフランチャイズ展開を実現したバイタリティ
ところが、順調だったカフェ運営も近くに新設されたハイウェイによって車の往来が減少し、経営が悪化。負債を払うためカーネルは店を手放します。しかし不屈の魂をもつカーネルは「フライドチキンのレシピを教えるかわりに、売れたチキンひとつにつき5セント受けとる」というフランチャイズビジネスを65歳からスタート。フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回り続けるようになるのです。
ピンチはチャンスとは、まさにこのこと。
発想の転換と不屈の魂が奏功し、カーネルは大成功をおさめることになり、75歳の時には600店舗のフランチャイズ網を築き上げたのです。こうした経緯からも、ケンタッキーフライドチキンは、世界で初めてフランチャインズビジネスを創始した会社と言われています。
門外不出の秘伝のレシピとは
私たちが日頃食べているフライドチキンのあの味は、今から78年前の1939年に考案されたもの。カーネルは試行錯誤を重ね、「11ハーブ&スパイス」の秘伝レシピを完成させるにいたります。
調合率はごく一部の人にしか知らされていない企業機密であり、カーネル・サンダースが直筆で書いたレシピは過去68年間、本社で厳重に管理され、動かされることはなかったそうです。その厳重ぶりは、レシピが新たな場所へと移動されたことがニュースになったことからもおわかりいただけるでしょう。
ちなみにカーネルは「自分の理想の調理法を受け継いでいる日本のケンタッキーが一番好き」とよく語っていたそうです。
── 私たちもカーネルの不屈の精神を見習い、いくつになってもチャレンジする気持ちを忘れずにいたいものですね。
参考HP:ケンタッキーフライドチキン