7月7日は七夕です。日本国中で七夕の催しが開催されていますが、夏から秋にかけて開催されるお祭りは、どこか郷愁に満ちていて、大人になっても楽しいものですね。
私たちは七夕というと7月7日を連想しますが、これは旧暦の行事。近世以前に実際に行事が行われていたのは、ひと月ほど先の初秋にあたります。
しかし今では、彦星と織姫が一年に一度出会う物語をはじめ、笹に短冊を下げる習俗などが初夏の行事としてすっかり定着していますね。今回は、そんな七夕の民俗を少しだけさかのぼってみましょう。
古代中国の七夕伝説
もともと7月7日を特別な日と考える習慣は、古代中国に端を発します。
農耕の儀礼が起源になっていると考えられますが、牽牛星(けんぎゅうせい・アルタイル)と織女星(しょくじょせい・ベガ)が、天の川をへだてて向かい合っていることからこの伝説が作られたようです。
この星を擬人化したものが彦星と織姫の物語。彦星と織姫はもと夫婦だったのですが、天帝の機嫌をそこねて、年に一度の七夕にしか会えなくなった……という物語は、すでに約2000年前からあるようです。
ところが、実際にこの二つの星が近づくことはありません。また雨が降ると、天の川の水かさが増すため、天の川にかかった橋を渡ることができないという理由から、二人は会えない……と考える人がいる一方、雨が降ると、彦星と織姫にとって雲間を縫って逢瀬がしやすい……と考える人もいます。こうしたことから、
●雨が降ると会えない→ その悲しさから7月7日の雨を催涙雨(さいるいう)。
●雨が降ると二人が会える → 7月7日の雨は「うれし涙」。
●さらに、7月7日降る雨を「うれし涙」と解釈する地域では、7月7日の翌日の雨を「別れを惜しむ涙」とも。
何より、今日では旧暦の行事を新暦に移しているので、新暦のこの時期には雨が多く、二つの星を見ることもなかなかできませんが、一年に一度しか会えない切ない伝説に合わせて、人々が願い事をするように。さらにこのほかにも、学問の上達や針仕事の上達を天に願う習俗が混じり合い、年中行事として定着してきました。
和歌に詠まれる七夕
日本の七夕は、この民俗が日本化されてできたものです。
「たな」は横板、「はた」は織り機のことで、板で組み立てられた織り機のことを意味します。竹に短冊を結びつけて、願い事をする、というのは日本でできた習慣のようです。
彦星と織姫は天の川を渡ってデートします。中国では織女が川を渡りますが、日本では彦星が川を渡るという設定に変わりました。
川を渡る際には、かささぎが天の川を埋め尽くして橋となって織姫を渡します。伝説を背景にして、逢うこともままならぬ男女の象徴として和歌にも詠まれます。和歌で夏や冬に「かささぎの橋」という場合には、天の川そのものを指します。かささぎの「白」は、かささぎの肩から腹の白い部分を指しています。
大伴家持〈かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける〉
和泉式部〈思ひきやたなばたつめに見をなして 天の河原をながむべしとは〉
またこのほかにも、この日をお盆の一部として考えて、「ナヌカボン(七日盆)」などと呼んで、精霊を迎える準備をする風習があります。墓掃除や墓参り道の草取りをする地方もあるそうです。
中国でも日本でも、人々は星の動きにいろいろな物語を託して、願いをかけてきました。雨が降っていても、曇っていて星が見えなくても、今宵七夕に、過去の人々の夜空への想像力に思いを寄せてみてはいかがでしょうか。