
<奮闘1年目の夏:西東京担当・泉光太郎記者>
高校野球の地方大会が7月29日で終了した。日刊スポーツでは5人の新人記者が取材に奮闘。それぞれが体感した「1年目の夏」を振り返る。
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スポーツ記者としては「6年目の夏」だった。真夏の日差しが照りつける中、球児のプレーにカメラのシャッターを切り、スタンドで応援中の保護者やブラスバンドに話を聞く。「球場にはドラマがたくさん埋まっている」。何の言葉かは忘れたが、改めて高校野球の現場でそう感じた。
今春、6年間勤めた地方紙から日刊スポーツに転職。前職でも高校野球を担当していたが、正直書くと、いい思い出がなかった。
記者2年目で担当となった20年は、新型コロナウイルス禍で春のセンバツ、夏の全国選手権、各地方大会が軒並み中止となった。各都道府県では救済措置として独自大会が開催されたが、試合後の取材時間は監督と選手合わせて3~5分。あまりにも短すぎた。
さらに感染予防のため、スタンド取材も禁止。日常を奪われ、最も心を痛めたのは選手やその保護者らだろうが、記者も苦しんだ。限られた情報で読者に伝えなければならず「あの時、選手の意に反したことを書いてしまったかもしれない」と今でも考えてしまう。
あれから5年後、高校野球の現場も日常を取り戻した。7月5日開幕の西東京大会の担当として29日の決勝までニッカンコムでは80本以上の記事を執筆した。
2年連続大敗も、待望の「夏1得点」をつかんだ青鳥特別支援、継続試合決定から24時間後に逆転勝ちした明大八王子。吹奏楽部に代わって鍵盤ハーモニカの演奏で選手を応援した小平西の保護者、話し言葉が滑らかに出ない吃音(きつおん)症と向き合ってきた投手…。どれも忘れられないハイライトだった。
酷暑で疲れもあったが、筆を走らせてくれたのは球児や監督、スタンドにいた関係者が時間の許す限り取材に応じてくれたから。世界にたった1つだけの物語に映る人間模様を、活字にせずにはいられなかった。
エゴや罪滅ぼしかもしれない。しかし、あの苦い経験から紆余(うよ)曲折を経て「記者の仕事は書いてこそ、世の中に証明される」と考えるようになった。これからの出会いにも感謝し、歴史に残るシーンやドラマを形にしていく。
最後に個人的な話ですが、7月に結婚し、大会期間中は取材先の監督やスタッフから祝福の言葉をもらい、「いい思い出」にもなりました。ありがとうございました。【泉光太郎】