
J1最下位の横浜が苦闘を続けている。1993年のJリーグ元年から参加する「オリジナル10」で鹿島と並びJ2降格がない名門クラブだが、歴史的な低迷にあえいでいる。クラブ史上最長の7連敗を喫し、ホーランド監督、キスノーボ監督と同一シーズンに2人の監督が解任されるのも史上初。そんな中、横浜のアカデミーで育ち、トップチームへ昇格してプロ14年目というマリノス一筋の主将、喜田拓也(30)が苦しい胸の内を吐露する。
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晴れわたった大海原が似合う海の勇者たちが今、暗闇の中にいる。昨年5月のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準優勝のチームが1年後にJ1で最下位に沈んでいる。勝てない。何が悪いのか? 悩めば悩むほどまた勝てなくなる。負のスパイラルに陥った。喜田はこう吐露する。
「自分の責任です。チームがこういう状況でつらいですし、苦しいですし、チームを勝たせられない自分の弱さだと思います。このクラブにいる意味をわかっているからこそ、背負いすぎるなと言われますけど、背負わなければいけないものがあって、その重圧とか、重さとかにシンプルに勝てていない。選手として人間としての弱さに尽きる」
横浜のアカデミーで育ち、小学生時代から多くの勝利を手にしてきた。魂のこもった激しい攻守を持ち味とするボランチ。順調に成長し、プロでもリーダーシップを発揮する。J1で2度(19、22年)、天皇杯で1度(13年)などのタイトルを手にした。移籍が頻繁に行われる世界にあって、正真正銘の横浜一筋。「マリノス・プライド」を具現化するキャプテンだからこそ“背負う”。
「この状況で間違いなく、ほかの選手や自分の中にもいろんなものが体や頭の中にあって(心を)むしばんでいる。それは自分でも分かっている。そういう中でうまく表現を仕切れていない部分もある」
陰りは昨季から見えていた。ACLとの過密日程に苦しみリーグ戦で失速。7月にキューウェル監督を解任し、ハッチンソン監督に交代したが、失点数が膨らんだ。Aロペス、Yマテウス、エウベルのブラジル人3トップに依存した結果、表裏一体となる課題が出てしまった。61得点(リーグ3位タイ)、62失点(ワースト4位)の9位。そこで今季、イングランド代表元ヘッドコーチのホーランド監督のもと、組織的な守備の構築に取りかかった。
攻撃的な4-3-3のシステムは崩され、足かせとなる看板の3トップが並ぶことはなくなった。中央3枚にウイングバックを含めた5バックに始まり、うまくかみ合わず再び4バックに戻った。しかしDFラインが下がり、ボールを奪っても敵陣まで運べず決定機を作る回数が減り、守れない上に得点力欠乏症に陥った。どっちつかずの攻守。歯車は狂ったまま、ブラジル人3トップに原点回帰した今も苦闘の中にいる。
25日の東京戦、相手のマンツーマンを外すため、喜田はDFラインまで下がり、そこからビルドアップの起点となった。新たな変化を加え、攻撃につながるいい形も何本か作ったが、相手の勢いあるプレスにチームがのみ込まれ、0-3と完敗した。喜田が言う。
「チームで同じ絵を描くところで改善の余地がある。いい攻撃ができた時にそこで仕留めきらないといけないし、いい場面をもっと作り続けないといけない」
これだけ敗北を重ねても応援してくれる人たちがいる。だからこそ前を向く。
「ファン、サポーターの姿勢を見て感じるものがある。重圧に押しつぶされそうになっても戦い続けないといけないし、自分たちで終わらせるつもりはない。このクラブが大好きですし、このクラブを愛している人たちのことも大好きなので、そういう人たちの存在が戦う理由に十分なっている。チームが1つになると言うのは簡単ですけど難しい。だけどやらなきゃいけない。すべてはこのクラブのため、僕自身もこのクラブに人生を懸けたい」
J1残留という使命を背負い、喜田は自らの生きざまを表現しようとしている。【佐藤隆志】
◆喜田拓也(きだ・たくや)1994年(平6)8月23日、横浜市生まれ。北方SCから横浜プライマリー、ジュニアユース、ユースを経てトップ昇格。13年天皇杯優勝。J1は19年、22年制覇。J1リーグ通算278試合4得点。19年から主将。170センチ、65キロ。