
川崎フロンターレの脇坂泰斗主将(30)が22日、横浜市内で、自身の小学時代にプレーしたFC本郷を訪れ、約100枚の練習シャツを寄贈した。
スターの登場に子どもたち、保護者たちが騒然となった。全身黄色のユニホームで練習する幼稚園時から昨年度に卒業したOBまで約90人が脇坂を出迎えた。「キャプテン!」と声が飛ぶ。
1枚のオリジナル練習着を手にした川崎Fの14番は、熱烈な歓迎にやや照れた様子で子どもたちの前に立った。そして全員に1枚1枚、練習着を手渡しで配り、記念撮影。懐かしい記憶をよみがえらせた。
きっかけは今年1月にFC本郷が実施した創立50周年パーティーだった。自身は式典には出席できなかったが、頼まれたビデオメッセージを送った。その時に頭に浮かんだ。「子どもたちにも何かしたい」。川崎Fのスポンサーでもあるプーマに協力を仰ぎ、自らデザインした練習着を制作し、プレゼントした。
同クラブには小学1~6年まで在籍した。「サッカーを始めた原点。サッカーを楽しむことを教えてくれた」と自身にとってかけがえのない場所だ。川崎Fを通して地域に貢献する活動は取り組んできたが、個人として行う社会貢献活動は今回が初めて。「まずは本郷にしたいという思いがあったので」と特別な思い入れから実現した。
「非常にうれしいです。僕も小さい時にサッカー選手の方が来たらめちゃくちゃうれしかったですし、キャーキャーいってたし、呼び捨てにしていたし(笑い)。それを自分がされるのはすごく喜ばしいし、夢を与えられているのかなと少しは思うので幸せです」
小学時代はとにかく負けず嫌いだった。文字通りサッカー少年。「勝ったら喜んで、負けたら泣いて」。小学2年の時にコーチに言われた言葉を今でも覚えている。「練習は勝つためではなくうまくなるためにやっている」。勝敗にこだわり過ぎて不平不満が口を突いた際に、そっと授けられた。
勝敗が生活に直結するプロになってもその言葉を意識している。「今は試合に勝つためにはうまくならないといけないし、強くならないといけないし、したたかにならないといけない。つながっている」。練習から常に高いレベルでプレーし、成長を目指す姿と重なる。
近年は有望な子どもたちが小学年代からJクラブの下部組織でプレーすることが増えた。脇坂は弟の崚平(26=J3ヴァンラーレ八戸)とともに6年間、FC本郷で過ごしてともにプロまで上りつめた。
「環境は大事ですけど、自分次第でどこにでもいけると、今の子どもたちが迷った時には頭に入れてもらえれば。行きたいところに行くのが一番いいと思いますけど、誇りを持って本郷で頑張ってもらえたらうれしいです」
FC本郷の石川広代表指導者(63)は偉大なOBの活動に感謝する。「本当にありがたいです。子どもたちも脇坂選手になりたいといっている。目標というか憧れですね」と優しいまなざしでうなずいた。脇坂の影響でチームに加入する子どももいるほど影響は大きいという。
脇坂は日本代表経験もあり、Jリーグベストイレブンは3度受賞した。選手としての能力は申し分ない。加えてこの人間性。交流時間は限られていたが、多くのサポーターから愛される理由が詰まったひと時だった。【佐藤成】