
巨人、レッドソックスなどで活躍した上原浩治氏(50=日刊スポーツ評論家)が16日までに公式YouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」を更新し、元中日監督の与田剛氏(59)とのコラボ動画をアップした。司会進行はPL学園(大阪)出身で立大野球部に進んだ上重聡アナウンサー(45)が務めた。
2人はNPBの現役時代が被っている99年~00年こそ接点はなかったが、与田氏は「解説者の立場で取材をさせてもらったりとか、上原くんの活躍をテレビで応援していました」と10歳年下である上原氏との関係性を説明した。
動画内では当時から大学野球界で厳しいと評判だった与田氏の母校亜大に入ったきっかけや、衝撃エピソードが明かされた。
亜大について、大体大出身の上原も「大学の中でも亜細亜が(厳しさ)No.1で、亜細亜か駒沢かというのは聞いていた」と当時の評判を回顧。
与田氏は上原氏と上重アナウンサーへ亜大進学を考えなかったのか問うと「僕はまったくないです」と上原氏。上重氏も「いやまったく、嫌でした」と正直に話し、笑いを誘った。
亜大進学前の与田氏は「本当に活躍できなかったですね」と3回戦が最高成績だった木更津総合(千葉)時代を思い起こした。同学年のスターには西武前GMで当時前橋工(群馬)のエースだった渡辺久信氏(59=日刊スポーツ評論家)、池田(徳島)で活躍した現巨人編成本部長代理スカウト担当水野雄仁氏(59)がいた。高校で目立った成績を残せなかった与田氏は「同級生が甲子園で活躍しているのを僕はテレビで見ていました。全然遠い存在です」と話した。
そこからなぜ大学野球屈指の厳しさを誇る強豪亜細亜大学に進んだのか。
与田氏は「あえて日本一厳しい大学を選択した」と説明。木更津総合でも年間数日の休みしかなかったが「これだけやったのに、何の誘いもない選手で終わっている」と高校野球引退後、悔しい気持ちが芽生えたという。野球人生に踏ん切りをつける前に「日本一厳しい大学にお世話になって、ダメなら諦めがつく」と限界突破への挑戦を決意。
与田氏はまず、亜大寮に泊まり込みで2日間練習を見学した。部員100人超えの大所帯に圧倒されたが、レギュラークラスの投手練習が始まると「いやあ。これはすごいレベルだなと怖気付きました」と感銘を受けてテストを受験。合格通知をもらった際には「まず合格すると思わなかったので、本当に受かってしまった」と、これから待ち受ける4年間の厳しい大学野球生活に怖さも感じたと当時の心境を振り返った。