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長嶋茂雄さん「書くのが仕事でしょ」記者というより、人として救われた気持ちになった言葉


巨人軍の永遠の名誉監督である長嶋茂雄氏が89歳で肺炎により逝去した。彼はプロ野球の巨人の監督を2期計15年間務めた。特に1998年にはチームの不振とガルベス選手の事件により大変な時期を経験した。記者は当時の長嶋監督の去就を報じる重圧に悩んでいたが、監督はその状況を笑って受け止め、誤報が出ても寛大な態度を見せた。彼のファンや野球への愛は深く、試合前の声援にも応えていた。長嶋監督の振る舞いから、多くの人々が彼のリーダーシップに感銘を受けたことが伺える。

98年8月、ガルベスの乱闘で頭を丸めた巨人・長嶋茂雄監督

プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。

   ◇   ◇   ◇

巨人キャップ時代、長嶋監督の去就を書いた。96年メークドラマの美酒を頂いたが、97年はBクラスに沈んだ。契約最終年の98年も低空飛行を続けた。国民的ヒーロー、長嶋監督の人事を書くのか…という重圧。暑苦しい夏だった。

7月31日の阪神戦。ガルベスが愚挙を犯し出場停止となった。監督は丸刈りになって謝罪したが、チームは低迷。1カ月後、「長嶋監督辞意」と、1面で書いた。

その朝、自宅近くに出向き、ランニング中の監督に会った。私は心臓が張り裂けそうだったが、驚くことに、笑っていた。「新聞買いましたよ、えっへっへ。家でじっくり読みますよ」。何なのだろう、この笑みは。澄んだ瞳が、今でも忘れられない。

この頃、読売本体は後任監督候補との交渉を終えていた。しかし、長嶋監督は、後任の人選で蚊帳の外に置かれたことに怒り、最終的には、辞任の決意を翻意した。世論も「読売はまた解任するのか」ムード。渡辺オーナーも収束を図り、急転続投で騒動を静めた。

結果は誤報。どうケジメを付けるか悩んだ末に、監督に時間を頂いた。険しい表情で「こちらにいらっしゃい」と呼ばれた。ヤクルト戦の試合前、神宮球場の三塁ベース付近だった。

「私はね、野球に関しては何を書かれてもいいんです。野球以外やプライベートは怒るけどね。だから(辞任の)記事は終わったこと。何のわだかまりもないですよ。だって田さんだって書くのが仕事でしょ」。思わず、涙が出そうになった。記者というより、人として救われた気持ちになった。その時、三塁側内野席の巨人ファンから声がかかった。「ナガシマさ~ん!」。監督は毛むくじゃらの右腕をあげて声援に応えた。サードの守備位置から、スタンドを見上げるのが好きだった、という話を聞いたことがある。私も見上げてみた。この光景か…。ファンに、野球に、愛されてきた「長嶋茂雄」が、そこにいた。【97、98年巨人キャップ=田誠】

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