
ソフトバンク王貞治球団会長(85)がミスターとの思い出に浸った。3日、巨人長嶋茂雄終身名誉監督の訃報を受けて自宅へ弔問。夕方には読売新聞東京本社ビルで会見に応じた。現役時代は「ON砲」として巨人の黄金時代を築き、65~73年の日本シリーズ9連覇に貢献。半世紀以上も前の記憶を呼び起こし、時に笑みを浮かべながら悼んだ。
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会見場に現れた王会長はどこか和やかな表情で、長嶋氏の現役時代を思い返した。「球際の強さというかね。体勢を崩されて、いわゆる泳いだような感じでも不思議とボールの芯とバットの芯をぶつけて。相手からしたらやられたと思うくらいに、球が野手のいないところに飛んでいく」。続けて「数多く長嶋さんが逆転打を打って、ヒーローになったのはそういうところだと思います」と、ミスターのスター性に尊敬のまなざしを向けた。
背番号「3」の背中を追いかけた野球人生だった。59年に巨人に入団。前年58年に新人にして本塁打王と打点王に輝いた先輩の存在はあまりも大きく「私はもうとにかく存在感では全然かないませんから。バットで存在感を示すしかありませんでした。とにかく追いつき追い越せっていう思いでプレーしてましたね」。プロ入り直後は寮でも同部屋となり「私はとにかく寝相は悪いわ、いびきはかくわでね。長嶋さんはつらかったんじゃないかな」。そんな昔話も良き思い出だ。
世界記録の868本塁打を誇る「世界の王」にとっても、長嶋さんは特別な存在だった。68年9月18日の甲子園での阪神とのダブルヘッダー2試合目。王会長は頭部に死球を受け、病院へ搬送された。球場が騒然とする中、長嶋さんが35号3ランを放った。「僕はその場では(本塁打を)見てないんですけど、僕にとっては長嶋さんのすごさっていうかね、そういう風に思いましたね。そういう形で悔しさを果たしてくれた」と感謝した。
黒のスーツで自宅を訪れ、長嶋さんと対面した。最後の“共演”は「全然変わらず、静かに横たわっているという感じだった。亡くなられたというのは残念なことではあるんですけど、そこに長嶋さんがいたってことはもうすごくホッとしました」としのんだ。良き先輩であり、チームメートであり、ライバルであり、盟友であり。どんな言葉でも表現仕切れないONの絆は、永久に不滅だ。【水谷京裕】