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長嶋茂雄氏は「戦後野球界の象徴のような方。6大学の出身者、誇りに思う」東京6大学内藤事務局長


立大OBで巨人の終身名誉監督である長嶋茂雄氏が89歳で逝去した。内藤雅之事務局長は、長嶋氏を「ミスタープロ野球」と称し、東京6大学の誇りであったと追悼の意を表した。佐倉高校から立大に進学した長嶋氏は、「立大3羽がらす」の一翼を担い、在学中に首位打者を2回、シーズン最多本塁打を2回、ベストナインに5季連続で選出されるなど、学生野球のスターとして活躍した。戦後の野球界を象徴する存在として、プロ野球界でも大きな足跡を残し、連盟の記念行事に参加するなど、6大学との絆を大事にしていた。内藤氏は、彼の遺志を継ぐことの重要性を強調し、道が閉ざされたことを非常に残念に思うと語った。

5割1分3厘と驚異的打率の立大・長嶋茂雄は、「今年が一番調子がいい、どのコースにもバットが出る」と自信満々(56年5月27日撮影)

東京6大学野球連盟の内藤雅之事務局長が3日、立大OBで巨人終身名誉監督の長嶋茂雄氏(享年89)の訃報に接し「東京6大学の出身者が『ミスタープロ野球』と呼ばれるほど活躍したのは、我々にとって非常に名誉なこと。数多い6大学のレジェンドたちの中でも非常に尊敬でき、大切な方だった」としのんだ。

まさしく学生野球が生んだスターだ。佐倉一(現・佐倉)から立大に進み、同期の杉浦忠氏、本屋敷錦吾(きんご)氏と共に「立大3羽がらす」と呼ばれた。在学中には首位打者2回、シーズン最多本塁打2回、5季連続でベストナインに選出。57年には春秋連覇達成と黄金時代を築き、プロの世界に羽ばたいた。「戦後の野球界の象徴のような方。6大学の出身者でそのような方がいたということは誇りに思う」。

活躍の場を移してもなお、6大学とのつながりを大切にする姿が印象に残る。連盟創設50周年の記念試合には母校のユニホームを着て出場し、70周年の記念試合には監督としてベンチ入り。そして90周年の記念パーティーにも快く参加し、インタビューを引き受けた。今年12月に予定していた100周年の記念パーティーにも出席依頼をする予定だったが、よもやの知らせで道が閉ざされ「非常に残念です」と肩を落とした。

内藤事務局長は「彼の遺志や姿を連盟としても、日本の野球界としても受け継いでいかないといけない」と気持ちを新たにした。【平山連】

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