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清原和博氏、長嶋茂雄氏との思い出綴る 伝説的口説き文句「僕の背番号3番あげるから」


清原和博氏が長嶋茂雄氏の逝去を受け、追悼のメッセージを送った。清原氏は2001年に特に印象的な体験として、巨人球団での経験を振り返った。長嶋氏の指導下で選手として成長し、巨人軍へ導かれたことに深い感謝を表明した。清原氏は1996年にフリーエージェントとして巨人または阪神への移籍を検討していたが、長嶋氏の「僕の背番号3番をあげる」との発言に感銘を受け、最終的に巨人を選択したと明かしている。また、清原氏の母親の言葉も影響を与え、巨人入りの決断を後押しした。清原氏は、長嶋氏との思い出を振り返りつつ、彼の死を悼んだ。

01年、右越えにサヨナラ20号満塁本塁打を放ち、生還後長嶋茂雄監督に肩をたたかれる清原和博

プロ通算525本塁打の清原和博氏(57)が3日、肺炎のため89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏へ、Xで追悼のメッセージを送った。

長嶋さんと監督と選手の関係でもあった清原氏は「突然の訃報に驚いています 自分の夢であった巨人軍に導いてくださったのは長嶋さんでした なかなか調子が上がらなかった時、遠征先のホテルの部屋でバットを振り込み、熱心にご指導していただいた事が一番の思い出です 心からの感謝とご冥福をお祈りします 清原和博」とつづった。

PL学園から西武へ入団した清原氏は、96年にFA資格を取得して同年オフに行使を宣言。争奪戦は長嶋監督が率いる巨人と、吉田義男氏が監督を務める阪神の一騎打ちとなった。吉田監督の「(ユニホームの)縦縞を横縞に変えてでも…」や、長嶋監督の「僕の胸に飛び込んできなさい」という伝説的な口説き文句も誕生した。

清原氏は1月のBSフジ「プロ野球レジェン堂」に出演した際に、巨人入りの真相を告白。阪神が巨人を上回る条件を提示したが、長嶋監督の「僕の背番号3番あげるから」という決定的な口説き文句や、母弘子さんの「あんたの夢はなんだったんや」に背中を押され、巨人への移籍を決断したことを明かしていた。

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