
プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。
ソフトバンク王貞治球団会長(85)が読売新聞東京本社ビルで取材に対応。長嶋氏との思い出などを語り、悼んだ。
一問一答<3>は以下の通り
-長嶋氏の優れているところ
やはり、球際の強さというかね、体勢を崩されても、いわゆる泳いだような感じとかね。それでも、不思議とね、ボールの芯とバットの芯をぶつけて、相手からしたらやられたと思うくらいに。球が野手のいないところに飛んでいくっていうね。だからそれが数多く、長嶋さんが逆転打を打ったし、ヒーローになったしというのはそういうところだと思います。これはですね、僕はイチローの球際の強さに共通しているところがあったと思います。やっぱり我々の時代っていうのは、いい球は打てるけど、難しい球はなかなか。そういう風な人はいなかったけど、長嶋さんはそういう体勢になっても、打ってヒーローになったというのがね、ファンの胸を余計かき乱したんじゃないかと思いますよ。あんな格好で、というね、思います。
-弔問して長嶋氏に何か言葉をかけたか
今日は本当に長嶋さんの家にいく時から暗い気持ちでしかなかったので。でも、長嶋さんの顔を見て、ホッとしましたよ。長嶋茂雄って人がそこにいたってね。昔と変わらずそこにいる。そして顔見られてね、亡くなられたっていう、残念なことではあるんですけど、そこに長嶋さんがいたってことはもうすごくホッとしました。こういうことは誰にでも来る日なんでしょうけど、やっぱり一番来てほしくない人に来ちゃったというね。でも、やはり日本中の野球ファンだけじゃなくてね、いわゆる長嶋茂雄ファンという人たちの思いは、日本中を駆け巡って、そういう気持ちは皆さんに乗り移って、こういう形でね。今日は朝から長嶋さんのニュースばっかりでしたからね。これいつまで続くかなっていうぐらい、その熱気は当分冷めないと思いますよね。それくらい特別な存在でした。
-印象に残っている試合や場面は
印象に残っているというか、残念なことにその場で見てないんだけど。甲子園で僕、頭にデッドボールを受けて。で、病院に運ばれたんだすけどね。私が病院に運ばれている間に3ランを打ったんですよね。だから、やっぱりもう長嶋さんのその思いがそこに結果として出たっていうね。僕にとって、それはね、その場では見てないんですけど、僕にとってはすごい長嶋さんのすごさっていうかね、そういう風に思いましたね。やはりそういう形で随分悔しさを果たしてくれたというかね。だから、やはり私はその数々をね、日本シリーズにも5回かな、MVPになってるしね。シーズン中でもここっていうところでものすごい逆転打を打ったり、ヒーローになったりということなんですけど。やっぱり僕にとっては、そういう僕の代わりに恨みを晴らしてくれる、やってくれる特別な人だったと言えますね。