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【復刻版】長嶋茂雄氏、高校野球を語る「ずいぶん夢を持ってやっていたもんだよ」


巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が肺炎のため89歳で逝去しました。日刊スポーツでは彼の高校時代を振り返る連載「野球の国から 高校野球編」を掲載中です。彼が佐倉第一高校に通っていた時期は甲子園には出場できませんでしたが、後にプロ野球のスターとなる基礎が作られていた時代でした。小柄で機敏なショートだった長嶋氏は、二盗や打球の伸びで魅せ、学校の講堂に打球を当てるなどその才能を垣間見せていました。

佐倉第一高校時代の写真を手に笑顔を見せる長嶋茂雄氏(2017年2月撮影)

巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。

「ミスター」の愛称で親しまれた長嶋氏は、巨人はもちろん、野球に温かく、熱い視線を送っていた。

日刊スポーツでは、全国高校野球選手権が100回大会を迎える18年夏へ向け、長期連載「野球の国から 高校野球編」を紙面で掲載。長嶋氏には17年4月20日付紙面から登場していただき、全8回にわたって、高校野球への思いを語っていただきました。

ニッカンコム(https://www.nikkansports.com/)の「野球の国から」でご覧になれますが、第1回目を、復刻版として再掲載します。

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全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える来年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第2弾は、長嶋茂雄氏(81)の登場です。佐倉一(現・佐倉)時代は甲子園に出場できませんでしたが、のちに日本中を熱狂させるミスタープロ野球の基礎を作った時期でした。長嶋氏の高校時代を8回でお送りします。

今から2年前の2015年12月。当時79歳の長嶋は、テレビ番組の収録で歌声を披露した。阿川佐和子が司会を務めるTBS系テレビ番組「サワコの朝」にゲスト出演した際、「記憶の中で今もきらめく1曲」を挙げるコーナーがあった。

長嶋が選んだ曲は灰田勝彦の「野球小僧」だった。照れながらも満面の笑みで1節を歌い上げた。

野球小僧に逢ったかい

男らしくて純情で

燃える憧れスタンドで

じっと見てたよ背番号

僕のようだね君のよう

オオ マイ・ボーイ

朗らかな朗らかな

野球小僧

まるで長嶋を歌ったような詞だが、少しばかり時代が合わない。この曲の発売は1951年(昭26)の7月…そう、長嶋が佐倉一高校に入学した年だった。彼の高校時代に大ヒットしていた。

長嶋茂雄の高校時代。

その後の輝かしい野球人生に比べれば、日の当たらぬ時代だった。甲子園は夢の夢だった。

長嶋 遠い存在だったな、甲子園は。でも、春は甲子園、夏も甲子園って町中もその話題でね。話の中では甲子園はどうだと言ってね。ずいぶん夢を持ってやっていたもんだよ。本当に。

高校時代の記憶は鮮明に残るのか。そう聞くと、長嶋はうなずいた。

長嶋 覚えている。高校時代のことは大体覚えている。

ソファに身をうずめ、長嶋は当時のチームメートと写る写真に目を落とした。記憶の中で、今もきらめく日々を思い出すように。

◇◇◇  ◇◇◇  

長嶋は中学時代からショートを守っていた。佐倉一に入っても、ショートの位置についた。他のポジションは考えられなかった。

入学時は身長170センチにも満たなかった。小柄で機敏に動くタイプだった。

長嶋 1年生の時は背が低くて全然ダメ。でも足が速かったから、塁に出るとすぐ二盗。盗塁ですよ。次はサードへとね。

高校に入学してすぐの練習試合に出場し、ヒットを放った。ショートには上級生のレギュラーがいたが、すぐに併用されるようになった。長嶋がスタメンで出場する機会もあった。

当時の佐倉一コーチで、翌年から監督を務める加藤哲夫は、入学してきたばかりの長嶋をよく覚えている。コーチ、監督といっても、当時の加藤は大学生…長嶋の先輩になる立大生だった。年は5歳しか変わらない。

加藤 小柄でしたね。他の選手より小さかったのは確かです。ボール(硬式)に慣れていないからトンネルしていましたが、小回りよく動く。打球に対するカンもいいし、これはいいプレーヤーになると思いました。

部員は約20人と少なく、長嶋は試合出場の機会に恵まれた。1年夏の千葉大会、安房一との1回戦は「7番ショート」でスタメン出場した。ただ、この公式戦デビューは2打数無安打で2四球。チームも敗れた。

この頃から長嶋の身長が伸びていった。2年になる頃には優に170センチを超え、打球が伸びるようになった。

長嶋が通った佐倉一の校庭には、センターから右中間寄りのところに講堂があった。

打席からの距離はおよそ100メートル。長嶋は、この講堂まで打球を飛ばした。壁に穴を開けたり、天井の瓦を割った。雨漏りの原因になっていたという。

長嶋 そうそう。よく当てたね、講堂に。瓦を割ってねえ。暴れてねえ。

長嶋は笑いながら振り返るが、学校にとっては一大事だった。佐倉一の前身は佐倉藩11万5000石の藩校で、講堂は伝統の建物の1つだった。

長嶋が打球を当てるたびに、加藤は学校に呼び出された。(敬称略=つづく)【沢田啓太郎】

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