
巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
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長嶋さんに湿っぽい話は似合わない。00年のことだった。広島市民球場での試合前練習で、長嶋さんは打撃ケージの真後ろから、真剣な表情で巨漢ドミンゴ・マルティネスのフリー打撃をみていた。
「すごいだろ」。西武と巨人で活躍したドミニカンの打球は本当によく飛ぶ。私が「えげつないパワーですね」とあいづちを打つと、長嶋さんは目を大きく見開いた。
「違いますよ、唇ですよ、ク・チ・ビ・ル。あの分厚さは人間じゃありませんよ」。そこっ?! 私が笑いを必死にこらえていると、「異変」を察知したマルティネスが何事かと振り向く。すると長嶋さんは「ヘイ! マル。ナイスバッティング!」
マルティネスはうれしそうに、ニコっと笑った。
幸せな空気を運んでくる。真夏に、上下真っ白のスーツを着こなしてさっそうと球場入り。ゆっくり通り過ぎたあと、目に入ってきたのは、背中いっぱいに広がったドナルド・ダックの刺しゅうだった。担当記者との食事会で「熊の手」の料理が出てくると、「熊の手にはパワーが詰まっているんですよ。ご存じのように、冬は永眠しますから」。監督、それじゃもう死んでますよ! 長嶋さんといると、自然に笑顔になった。
一番好きな話。現役時代、盟友の王さんとの間でこう約束した。
「ワンちゃん、おれたちで1億人にサインしよう。日本中をおれたちのサインで埋め尽くそう」
サインを求められればどんな時でも断らなかった。病に倒れたあとも、慣れない左手で書き続けた。見る人が「もはや筋トレ」と評した過酷なリハビリと同等の執念で、何度も何度もサインの練習をした。
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手・宮古市の市長室には「ガンバレ! 宮古」と添えられたサイン(写真)が飾られている。たどたどしくも力強い筆致で書かれたその色紙を、地元の人たちは争うようにコピーして持ち帰ったという。人を笑顔にさせるパワーは、まさに「不滅」だ。【99~01年巨人担当・沢田啓太郎】