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【とっておきメモ】日本ハム宮西尚生、オカンに感謝「中学で辞めようと」バスケ転向相談も即拒否


日本ハム投手、宮西尚生がプロ野球の新記録となる880試合連続リリーフ登板を達成しました。この試合で宮西は7回2死三塁のピンチを切り抜け、チームに重要な勝利をもたらしました。新庄監督から花束を渡され、今季初勝利も飾りました。宮西の人生には多くの節目があり、その中でも特に印象深いのは、彼が中学生のときのエピソードです。バスケットボールへの転向を持ちかけられましたが、野球好きの母がこれを拒否し、彼の野球人生のレールが敷かれることになりました。この記録には、母の支えがあったと感謝の意を表しています。

日本ハム対オリックス 7回途中登板し連続救援登板新記録を達成し新庄監督から花束を渡される宮西(撮影・黒川智章)

<とっておきメモ>

<日本ハム7-0オリックス>◇15日◇エスコンフィールド

日本ハム宮西尚生投手(39)が880試合連続リリーフ登板を果たし、プロ野球新記録を樹立した。0-0の7回2死三塁で登板。オリックス西川を二ゴロに打ち取ってピンチを切り抜けた。その裏に決勝点も入って、新たな金字塔に花を添える今季初勝利もマーク。通算ホールド数に続いて2つ目のNO・1を手にした“生けるレジェンド左腕”のメモリアル快投で、チームは首位攻防3連戦を勝ち越した。

   ◇   ◇   ◇

日本ハム宮西の節目はこれまで何度もあった。いろいろなエピソードを取材してきたが、その中でも忘れられない話が9年前に聞いた野球人生最初のターニングポイントについて。15年5月14日西武戦(札幌ドーム)で通算200ホールドを達成した際に記事にしたが、新たに金字塔を打ち立てた“生けるレジェンド左腕”の誕生秘話として、あらためて紹介したい。

宮西が中学2年の時に母純子さんが学校に呼ばれたことがあった。当時の最速は110キロほどで「野球は中学でやめようと思っていた」という14歳の宮西はバスケットボールも得意。体育の授業で次々とシュートを決める姿に、バスケ部顧問がバスケにも将来性を見いだした。転向話を母に持ちかけたが、野球好きの母は即答で拒否。「あの時、断ってくれていなかったら今はない。オカンにホンマ感謝です」。6月に40歳を迎える鉄腕の華麗な野球人生のレールは、26年前に母によって敷かれていた。【日本ハム担当=木下大輔】

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