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【悼む】“精密機械”小山正明さん「逆球ってなんや?」無四球は歴代2位 村山実さんと強烈2本柱


阪神やロッテで活躍した元プロ野球投手・小山正明氏が心不全で逝去した。兵庫県出身で、プロ野球史に名を残す320勝と3159奪三振を記録。柔和な人柄ながら試合には厳しく、特に制球力には自信を持っていた。無四球試合は歴代2位の73試合。1962年の阪神リーグ優勝に貢献し、その年の最多勝利数、防御率トップの村山実氏とともに、チームの2本柱として活躍した。 しかし、その年のMVPは村山氏が受賞し、小山氏としては記者投票の締め切りが早すぎたことを残念に思ったという。尚、彼は伝説の「天覧試合」にも先発登板し、巨人の王貞治氏に同点本塁打を打たれる場面もあった。

村山実さん(右)と笑顔で話す小山正明さん(1962年撮影)

プロ野球の阪神、ロッテなどで主戦投手として活躍した小山正明さんが18日午前11時20分に心不全のため死去した。24日、阪神が発表した。90歳だった。小山さんは兵庫県高砂市出身。歴代ともに3位となる通算320勝、3159奪三振を記録した。葬儀は家族葬を執り行った。

   ◇   ◇   ◇

小山さんは物腰が柔らかで紳士的な人柄だったが、野球には厳しかった。いつも甲子園球場のOBルームでソファに座って熱心に試合を見た。そこで必ずささやく口癖があった。

「おいっ、逆球って、なんや?」

捕手の構えを外し、制球を乱す投手にはあきれた様子だった。無四球試合は鈴木啓示さん(近鉄=78試合)に次ぐ2位の73試合。投げ込みでコントロールを身につけた自信が言わせたセリフだろう。

1962年(昭37)の小山さんは27勝(11敗)をあげて、阪神をリーグ優勝に導いた。チーム75勝のうち村山実さんの25勝(14敗)と2人合わせて52勝だから、強烈な2本柱だった。

だから小山さんが登板した当時の阪神は「1点とれば勝てる」といわれたほどだ。ショートのレギュラーだった吉田義男さん(故人)も「きれいなフォームで伸びのある速球派だった」となつかしんだ。

吉田さんに言わせると「ゴロよりもフライが多かったです」というタイプだった。他のピッチャーが投げたときはゴロをさばき続けたが「小山が投げるときは開店休業でしたわ」と制球力に定評があった“精密機械”を信頼した。

またこの年の「最高殊勲選手」に選ばれたのは、最高勝率、沢村賞に輝いた小山さんでなく、最多勝、防御率トップの村山さんだった。プロ野球史上これほど伯仲したMVPも珍しい。

当時は記者投票の締め切りが早く、ペナントレース終盤の成績が反映されなかった。その知らせが届いたのは優勝パレードの途中だったから、小山さんも複雑だったに違いなかった。

59年6月25日の「天覧試合」でも先発し、巨人王貞治さんに同点本塁打を浴びている。プロ野球史に残る伝説のエースだった。【寺尾博和】

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