
川崎フロンターレの中西哲生特命大使(55)と中村憲剛FRO(44)が11日、神奈川・川崎市の武蔵溝ノ口駅前で、Mind-1ニッポンプロジェクト復興支援活動に参加した。
震災から14年。クラブは震災直後から岩手・陸前高田市との交流を続け、15年には友好協定「高田フロンターレスマイルシップ」を締結するなど、継続的につながってきた。
毎年募金活動に携わってきた中西は「いつも言っているように支援はブームではない。震災は自分の人生に一番大きな影響を与えた。フロンターレは自分たちのために生きるのではなく誰かのために生きるとやっていくべき。そこはぶれちゃいけない」と継続の重要性を説いた。
陸前高田市と交流を続ける中村も「毎年続けると輪が広がる。14年目になるとスタッフも(ともに募金活動する)子どもたちも変わる。その中でこの関係性を大事にしたい。この活動の意義を理解して全員が全力で取り組むことに意義がある」と話した。
ラジオパーソナリティーも務める中西は、震災後メディアの仕事で被災地を訪れた。すると街の至る所で亡くなった方に手を合わせる人がいたという。どのような思いかを問うと「みんなもっと生きたかったのにもう生きられなくなってしまったから、亡くなった方々のどうしても生きたかった分、今日は私たちが全力で生きます」と返ってきた。心にその言葉が刺さった。人生観が変わった。
「1日を過ごす時に無駄に過ごすことは生きたかった人に失礼。生きるからには全力を尽くしたいし、誰かのために行きたいと考え方が変わった」
その考え方は、サポーターのために奮闘する川崎フロンターレのスタンスとも重なる。毎年恒例の募金活動も中村ともに「やりたくてやっている」と共鳴して続けてきた。
選手時代から被災地に寄り添い続けてきた中村は「続けるのは簡単ではない」と言う。この日、ともに募金活動をしたのは来年度からU-15の下部組織に加入する現在小学6年の子どもたち。震災の2年後に生まれた。「生まれてない時のことを知らないけどやっている。何があったかをここで知る。毎年続けると輪が広がる。そういう意味でも、やらなくなると途絶える。意義はそこ。輪が広がるところ」。
クラブが11年に発した合言葉「支援はブームじゃない」が今となって身に染みる。「この言葉が重い。あの時この言葉をチームとして出したなと。14年たって響く。毎年感じてはいましたけど、人が変わって薄れてもおかしくないけど、薄れない」。クラブが本気に取り組んできたからこそ友好協定を結ぶまでに関係性が発展した。強い意志のもと、両者の絆は今後も深まり続ける。【佐藤成】