
3月11日、東日本大震災の発災から14年となる。
阪神育成ドラフト1位新人で、7日に支配下登録された工藤泰成投手(23=四国IL徳島)は、秋田市出身。まだ9歳だった小学3年時に被災し、不自由な生活を余儀なくされた。故郷東北の完全復興を願う気持ちは人一倍。11日に西武戦(ベルーナドーム)で登板すれば、デビューから5試合連続無失点の無双右腕が0をささげる。
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14年前の11年3月11日午後2時46分頃、東北地方を中心に日本列島が強い揺れに襲われた。工藤は当時9歳の小学3年生。下校しようと小学校の玄関にいたとき、大地震に見舞われた。
「実際に津波の被害に遭われた人もいたりするので、何年たってもやっぱり思い出しています」
3・11が近づくにつれ、野球も始めていなかった当時のショッキングな光景を思い出す。生活していた秋田市内では最大震度5強を観測。津波の被害はなかったが、1~2週間ほど停電が続いた。幸い「家は無事」で何とか自宅で過ごすことができたが、不自由な生活を余儀なくされた。「ガスとろうそくで何とか…。食料はどこも、スーパーでも買えませんでした。みんなで鍋とかを食べていました」。
「寒かったですね…」。11年3月の秋田県の平均気温は2・1度。それでも停電で、エアコン等は使えない。「反射式ストーブっていう、灯油と火で、電気を使わないストーブががたまたまあったので…。なんとか、乗り切っていました」。家族で身を寄せ合い、暖を取る日々が続いた。
被災で苦しんできた人を身近で見てきた。宮城や福島などから、秋田県内に避難した人も多い。14年たった今も、秋田市は1日時点で、民家等で170人、県営住宅で15人が過ごすなど、被災した186人の避難者を受け入れている。完全復興はまだ道半ば。工藤もプロ野球選手として、東北地方全体の思いも背負って戦う決意を新たにした。
「津波にあった地域だけじゃなくて、東北全体で頑張ろうという形で震災の時もやってきた。やっぱり東北人として頑張っている姿を見せて、まだ復興されていない地域もあるので、そういう方々に元気を送りたい」
阪神入団後は最速159キロの剛球を武器に相手打者を圧倒。育成新人では球団初となる開幕前の支配下昇格を7日に決めた。デビューからの実戦は5試合で防御率0・00の無双で、藤川監督もリリーフの一角を期待している。きょう11日は敵地西武戦で登板する可能性もある。東北への思いを込めて腕を振る。【塚本光】
◆工藤泰成◆ くどう・たいせい。2001年(平13)11月19日生まれ、秋田市出身。明桜(現ノースアジア大明桜)から東京国際大を経て、24年に四国IL徳島入団。1年目に8勝を挙げて最多勝を獲得し、同年育成ドラフト1位で阪神入団。177センチ、82キロ。右投げ左打ち