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<吉田義男さんメモリーズ4>
「今牛若丸」の異名を取った阪神の名遊撃手で、監督として1985年(昭60)に球団初の日本一を達成した吉田義男(よしだ・よしお)さんが2月3日、91歳の生涯を閉じました。日刊スポーツは吉田さんを悼み、00年の日刊スポーツ客員評論家就任以前から30年を超える付き合いになる“吉田番”の寺尾編集委員が、知られざる素顔を明かす連載を「吉田義男さんメモリーズ」と題してお届けします。
◇ ◇ ◇
プロ、アマを通じて、吉田さんほど皇室と“縁”のあった野球関係者は見当たらない。
プロ野球で唯一の「天覧試合」に出場したことは語られてきた。1959年6月25日、昭和天皇・香淳皇后がご臨席した巨人対阪神戦(後楽園)に「1番遊撃」でプレーした。
また現在の天皇・皇后両陛下とも「野球」を通じてかかわっている。おそらくおふたりにも大切なメモリーとして記憶にあるのではないだろうか。
吉田さんが現役引退した1969年の翌年、1970年に東京スタジアムで行われた日本シリーズ、ロッテ対巨人戦で、後に天皇に即位する浩宮さまに解説する役目を仰せつかった。
「どうして私が呼ばれたのか、多分その時に理由を聞いたと思うが忘れました。宮内庁からグラブを持参するように言われたんです」
ネット裏の浩宮さまと学友に並んで座った吉田さんは、ファウルになった打球が飛んできたら、グラブで捕球するように申しつけられた。
「しかも殿下は『ファウルボールよ飛んでこい、飛んでこい』と無邪気に繰り返すんですわ。本当に飛んできたらキャッチするつもりでした。すごく緊張したのを覚えています」
翌1971年の巨人対阪急(後楽園)の日本シリーズでも説明役を拝命した。「殿下は末次(利光=巨人)のファンとうかがったことがあります」と話した。「小学5、6年生で、とても天真らんまんで、リーダーシップをとっておられたのが印象に残っていますね」
実は皇后雅子さまともプライベートで出会っていた。フランス・ナショナルチーム監督として欧州クラブ選手権でロンドンに遠征し、テムズ川ほとりのホテルを出て市内のピカデリーを散策した時だ。
日本人の外務省の在外研究生たちから「吉田さんですよね?」と声をかけられた。日本人が野球未開の地に指導に来ていたのが興味深かったようで盛り上がった。そのメンバーの中にいたのが、後に天皇陛下とご婚約する小和田雅子さんだった。「純真で親切な方でした。妻(篤子夫人)からお妃(きさき)候補であるのを知らされました」と鮮明に覚えていた。
後日、雅子さんから届いたお礼の手紙は「今英国では数々の花が一面に咲いて、大変美しい季節です」といった内容で、オックスフォード大で勉強している近況が丁寧につづられた。今となっては思いがけない運命の出会いだった。
フランス代表監督だった1994年には、現在の上皇陛下が渡欧した時、在仏大使館で欧州野球を語ったこともあった。
皇室と野球の結びつきに尽くした吉田さんは「天皇・皇后両陛下におかれては、国際感覚を磨かれたおふたりですので、新時代を築かれるでしょう。国民的スポーツの野球が平和のシンボルであってほしい」と願っていた。【寺尾博和】