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ドジャース大谷翔平投手の元通訳、水原一平被告(40)の裁判で、禁錮4年9月と賠償金が言い渡された。
求刑通りの判決で、水原被告が求めていた情状酌量、1年6月への減刑は認められなかった。理由についてホルコム裁判官は、裁判前に水原被告が判事に送った嘆願書に「虚偽や省略が多く含まれていた」と指摘した。どこまでがウソで、どこからが本当なのか。嘆願書と、検察から指摘された点に焦点を絞って、論点を整理しておきたい。
まず、水原被告が「21年、経済的に苦しんでいた私は、これを金銭的な助けになる機会だと愚かにも考え、彼のウェブサイトでスポーツ賭博を始めた」と主張した点について。本当に経済的に苦しんでいたのかを検証したい。
嘆願書によるとエンゼルス球団から払われていた水原被告の年俸は、18年が8万5000ドル(約1320万円)、19年から21年が8万7000ドル(約1350万円)、22年が9万9611ドル(約1540万円)、23年が25万ドル(約3880万円)だった。物価が高い米国での暮らしとなるが、特別に安いとは言えないだろう。
これに加えて、大谷からオフシーズンとなる10月から1月までは毎月約40万円、試合の行われる2月から9月までは毎月2万円が支払われていたという。「自分の報酬が非常に低いと感じていたが、毎年1年契約だったため、不満を口にすると契約を切られるのではないかと恐れ、言い出せなかった」と書いた。
さらに、大谷の家の近所に住む必要があり、家賃が高額になった。当初は妻がグリーンカード(永住権)を取得しておらず、90日ごとに日米間を往復しなければならなかった。日米の両方で家賃を払う必要があった。これらの出費を賄うために、家族や友人から借金をした。日本の企業から本の執筆、テレビ、ラジオ出演、CM出演のオファーは、大谷とマネジメント会社に却下された、などと金銭面で苦境に陥った理由を主張した。
検察側の主張は、これらの主張を覆すものだった。水原被告は大谷のデビットカードを使って家賃を支払い、ポルシェを与えられていた。さらに23年3月には水原被告の当座預金口座には3万236ドル(約469万円)の残高があり、24年3月には19万5113ドル(約3020万円)あったという。
判事が嘆願書に「虚偽や省略が多く含まれていた。信用できない」としたのは、ポルシェを与えられていたことに加え、大谷から5桁(1万ドル=155万円以上)のチップを受け取っていたこと、水原夫妻の日本への渡航費を負担していたことだ。確かに、水原被告は「高額な家賃が必要だった」「何度も日米間を往復する必要だった」とは書いていたが、これらを「大谷が負担していた」ことに触れていない。巧みに心証を誘導しているが、判事に喝破されたといえる。
水原被告の業務が多岐に及んでおり、大変だったことは、嘆願書からも分かった。挙げられた業務は、ドライバー、買い物などの雑用、代理人との打ち合わせ、トレーニング施設の予約、練習器具の準備と片付け、トレーニングの撮影、練習パートナー、球団スタッフへの報告、自転車の修理、郵便物の確認、実家への付き添い、動物病院やトリミングへの送迎、食事会への送迎、結婚の婚前契約に関する日米弁護士との会議への同席、CM撮影の日程調整、CM撮影への付き添い、などなど。連休は年末年始の4日程度だったとした。
通常なら数人で行う業務の多くを行っていた。すべてを1人でこなしていたのかは不明だが、通常、通訳が行う業務の範疇(はんちゅう)を超えていたのは確かだろう。それならそれで、新たに人を雇うように、大谷や代理人事務所、球団に助言すべきだったのだ。クビになるのが怖いから、業務が大変だから、人のお金を盗んでいいという理屈にはならない。突っ込み所が満載の嘆願書に、妥当な判決が下ったと感じている。【斎藤直樹】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「斎藤直樹のメジャーよもやま話」)