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真弓明信氏「優勝の話になると、真弓がコンバートをOKしてくれたからと…」吉田義男氏悼む


元プロ野球選手で日刊スポーツ評論家の真弓明信氏が、85年の日本一メンバーの吉田義男氏逝去に対する哀悼の意を示しました。真弓氏は、吉田監督のもとでのポジション変更の思い出を振り返り、彼の攻撃型の指導スタイルを評価しました。特に、常に選手を信頼し、エンドランやバントで着実に得点を狙う手堅い試合を展開していたことが印象に残っていると述べました。 吉田氏は90歳まで元気にゴルフを楽しむ姿から、年の取り方について真弓氏をはじめ多くの人々が憧れる存在でした。真弓氏は、吉田氏をタイガースにとって最も貢献した人物だと敬意を表しました。

真弓明信氏(2023年1月撮影)

85年の日本一メンバーが3日に亡くなった吉田義男氏を悼んだ。1番打者として強力打線をけん引した真弓明信氏(71=日刊スポーツ評論家)はコンバートの思い出を振り返った。

 ◇   ◇   ◇

最近顔を見ていなかったから、心配はしていた。それでも元気だったから、ショックだよ。

85年に、監督を胴上げしたのは、今も鮮明に覚えている。その中でも一番の思い出に残っているのは、コンバートを言われた時だ。前の年は二塁を守っていたが、(監督に)就任した時に「外野をやってくれ」とね。自分の中では膝も悪くなっていたし、二つ返事だったけど、こんな条件をつけてね。「内野でケガ人が出たから戻れと言われても、すぐに戻れませんよ。そういう覚悟でなければ、行きたくない」。その後、優勝の話になると、「真弓がコンバートをOKしてくれたから」とよく話してくれた。よく印象に残っているよ。

攻撃か守りかというと攻撃型の監督だった。85年は俺が1番、2番は弘田(澄男)さん。「エンドランのチャンスがあれば、サインを出し合えよ」と言われていた。当時はベテランが多かったが、選手を信じて使っている。そう感じた。走者を送るところはバントで送って、1点を取りにいくという手堅い野球もやっていたけどね。(09年に)監督になった時には「自分の色を出して思い切ってやれ」と何度も励まされたよ。

ちょうど監督とは20歳違う。去年は一緒に回れなかったけど、ゴルフを元気にされていた。90歳になってもゴルフができる。そういう年の取り方をしたい、という俺たちの目標だった。本当に残念。タイガースの一番の貢献者だ。

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