マリナーズとマイナー契約で合意した藤浪晋太郎投手(30)が1月、日刊スポーツのインタビューで米国3年目に懸ける覚悟を激白した。昨季痛めた右肩の状態は? 課題に取り組む自主トレの現状は? 後編では未来に向けての準備、手応えを熱く語り尽くした。【取材・構成=佐井陽介】
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藤浪は阪神在籍時から8年以上、右肩の違和感と付き合ってきた。まだ高卒3年目だった15年秋には右肩の炎症を理由に「プレミア12」の侍ジャパン入りを辞退。「その頃からずっと痛みはあった」らしい。
藤浪 痛いけど投げられるというか…。キャッチボールの初めだけしっくりこなくて、肩が温まってきたら投げられる、みたいな感じでした。それが去年はちょっと酷くなってしまった。振り返れば、1年前のオフはノースローの期間を取ったのに状態が上がってこなかった。例年だと取れてくる痛みが2月になっても残っていて、5月にドンと来てしまった。前年の23年に64試合投げたからなのか、経年の蓄積疲労が出る年だったのか、それは今も分かりませんが。
5月になって、肩が変な張り方をしました。肩の後ろの方が痛くて腕を上げるのも嫌な感じで。それで画像を撮ったら軽い炎症があって、万全を期すために大事を取ることになりました。正直に言えば、自分の中では大したレベルではないと思っていました。でもメジャーではリハビリプランが厳密に決まってくる。そこで肩のトレーニングを丸っと見直したら、肩のハマりが一気に良くなりました。リハビリしてキャッチボールを再開した時にはもう痛みが全然ない。ずっと何年も悩んでいた痛みがなくなったんです。
昨季はメッツ傘下の3Aチームで開幕を迎え、5月中旬に負傷者リスト入り。6月下旬に実戦復帰後はマイナーで徐々に状態を上げたが、7月下旬にメジャー40人枠から外れた。「もう見切られた感覚があった」という状況で、右腕は1冊の本に支えられた。
藤浪 あの頃はもう、25年に向けて何かつかめるものはないかという気持ちだけでした。肩のトレーニングの取り組みを変えて、本も読んで…。ケガをする前、手塚一志さん(パフォーマンスコーディネーター)の著書「ピッチングの正体」をたまたまAmazonで取り寄せていたんです。有名な本なので小学生の時に1度読んだことはあったんですけど、リハビリ拠点だったフロリダであらためて読んで「うわっ、これやわ!」となりました。
自分はこれまで自主トレや練習で多くの先輩方から技術、考え方を教わってきました。山本昌さんにダルビッシュ有さん、前田健太さん、菅野智之さん、昨年メッツで一緒だった千賀滉大さん…。いろいろな場所で皆さんが口々に言っていたことが全部1冊の中に収まっている気がしたんです。「これはすごい」と思って実践したら、昨季の後半、あまりに感覚が良くて。手塚さんの指導を受けられる「上達屋」に通う広島の大瀬良大地さんに連絡して「つなげてもらえませんか?」とお願いしました。
シーズン終了後の10月から東京の「上達屋」に入門。同施設が作成したドリルを使い、各部位のトレーニングを続けている。
藤浪 手塚さんはよく「自動化する」と言われるんですけど、マウンド上で意識せずとも体が勝手に反応して人間本来の動きができるように、ドリルで体を教育していこう、と。たとえば「真っすぐ腕を振りなさい」と教育されるうちに、ナチュラルな体の使い方からどんどん外れてしまう。小学生が何も考えずに投げていた時みたいに、それよりはもう少し繊細な感じで「“教えられていない投げ方”になりましょう」という考え方です。この理論をリハビリ中に読み始めて、本当に勉強になりました。これで結果を出せれば、「あのケガがあったから」と言えるかもしれません。
海を渡って今季で3年目。2年ぶりのメジャー昇格へ、日本人メジャー歴代最速の102・6マイル(約165・1キロ)を誇る剛腕は目をギラつかせる。
藤浪 自分の場合、課題はストライク率。いかに160キロをど真ん中に投げ続けられるか、そこに尽きると思っています。ひとまず…今は肩が痛くないことがかなりいいです。
健康体を取り戻した大器。逆襲の準備を着々と進めている。
◆藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう)1994年(平6)4月12日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭3年時に甲子園で春夏制覇。12年ドラフト1位で4球団競合の末、阪神入団。1年目の13年にセ・リーグでは67年江夏(阪神)以来となる高卒新人2桁勝利。15年最多奪三振。14年日米野球、17年WBC出場。23年1月にポスティングシステムでアスレチックス入団。7月にオリオールズにトレード。同年は2球団で計64試合登板7勝8敗2セーブ5ホールド、防御率7・18。24年2月にメッツ入団。25年1月にマリナーズとマイナー契約を結んだ。197センチ、98キロ。右投げ右打ち。