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米殿堂イチロー氏「地球上の誰も想像はできなかった」/地元シアトル会見一問一答1


2025年の米国野球殿堂入りが決まり、イチロー氏がアジア人として初めて栄誉を授かりました。イチロー氏は米国のメジャーリーグでの功績が認められ、得票率99.7%で殿堂入りが決定しました。記者会見でイチロー氏は、自身のMLBでの経歴を振り返り、地道な努力と忍耐がこの成果をもたらしたことを語りました。引退後の生活やプロとしての心構えについても言及し、若い選手に向けたアドバイスを提供しました。日本人選手として初の殿堂入りは、シアトル・マリナーズのファンをはじめ多くの支持者への感謝の意を示し、過去の選手経験が現在の支えとなっていると述べました。

アジア人で初めての米国野球殿堂入りし、記者会見するイチロー氏(AP)

2025年の米国野球殿堂表彰が21日(日本時間22日)、発表され、イチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が資格1年目で選出された。得票率は99・7%で史上2人目となる満票にはわずか1票届かなかったものの、日本人選手としては史上初の快挙となった。

発表後はマリナーズの本拠地、シアトルのTモバイルパークで会見を行った。

主な一問一答は以下の通り。

   ◇   ◇   ◇

-今はどういう気持ちですか

まずこの日を迎えるということが2001年に僕が初めてMLBに挑戦した年に、おそらく地球上の誰も想像はできなかったと思うんですよね。ここまでアメリカで25年、現役は19年ということですけど、振り返るとあまりにも多くの出来事があって、いいことだけではありませんでした。苦しいこともたくさんありましたけど、最終的にここに1歩ずつ近づいていった。そして今日この日を迎えられたことは言葉では言い表せない気持ちです、今。

-ファンにはたくさん良いところは見せられたと思うが、こうやって野球殿堂に入ったのはファンにとって

えー、それは野球ファンという意味ですかね。シアトルのファンという意味ですか。

-イエス(ファンという意味です)

シアトルのファンの方々に対しては12年の途中まで僕は2001年からプレーして、トレードでニューヨークに行ったんですけど。その後にマイアミに行って、シアトルに戻ったんですけど。その時に迎え入れてくれた温かい気持ち。これはもういろいろ今回振り返ってみたんですけど、18年の開幕戦は僕のトップいくつでしょうかね。もうトップ5に入るぐらいのハイライトでした。そのシアトルのファンの方々の前で球団に対しても、出て行った選手をまた戻してくれた。その思いがとてもうれしかったですし、人の思いがこんなにも刺さるというか。自分がやったことよりも、人の気持ちがすごくこの年になったからなのか、経験を得てなったのか。ちょっとそこは分からないですけど、特別な関係になりましたね18年で。

-電話を今日もらったことについて、どういう気持ちでしたか

2時15分から待機をしました。これは電話がかかってくることが前提の準備だったので、15分を過ぎて電話が鳴らなかった時に、これないんじゃないかなと思ってすごく不安になりました。実際に電話がかかってきて、その報告を受けて、すごくうれしかった。やったというよりも、もうホッとしたというのが強かったですね。おそらく喜びはこれから起きるんじゃないでしょうか。

-2001年初の日本の野手としてどんなに大変でしたか。今初めて野球殿堂に日本人初でなってどんな気持ちですか

2001年は野手で初めての挑戦であったということもあって、僕が日本で7年続けて首位打者を取ってのタイミングだったので。アベレージヒッターにとってはその僕がその指標になるというか、僕を基準にされるという認識がありました。日本人の野手の評価は僕の1年目で決まる。そういう思いを背負ってプレ-した記憶があります。その後3年プレ-した時に、ようやく周りからも、主にはアメリカの方にもある程度認めてもらったというか、そういう感触がありました。それから長い時間を経て今日に至るわけですけど、「日本人選手として初めて」ということは僕を表現する時に何かとつきまとうものなんですけど、今現在、現状今日の気持ちと言えば、それが何かにつがるとか、そういう風には現段階では捉えられないです。おそらく時間がたった時に、あれはこういうことだったんだとか、いろんなことがそうであるように、これもその1つだという風に思います。やっぱ時間がたってからでないと、人っていうのは今この現在起きてることが正しいか、間違いかとか。そういう判断が難しいわけですね。だから、これもその1つだと思っています。

-野球で一番イチローさんが達成感があったのはなんですか

いろんな記録が僕にまつわる数字はあるんですけれど、おそらく多くの人が経験できるものではない時間という風に捉えると、18年5月の頭から、選手としてはプレ-ができなくなった時間ですね。翌年の引退につながる、19年の3月につながるわけですけど。18年の5月頭から9月終わりまで、10月頭までですね。練習だけの時間を過ごした、次の年を信じて。この時間はなかなか経験できるものではないと、今振り返っても思います。おそらくこの先もそう思うと思います。プレ-、記録というものよりも、この経験が僕の支えになっているといえると思います。さらに2019年引退ですね、東京ドームでの引退。あの時間は僕は引退をお知らせしていなかったので、にも関わらず試合が終わって、何時間もたっても、お客さんが球場にとどまってくれて。僕を待っていてくれた。あの瞬間は大きな僕の支えと、これからもなると思います。

-もしプロになった選手ばかりの方とかにアドバイスを与えるとしたら、どういうことを伝えますか

僕は18歳でプロ野球選手になった時に、まずメジャーリーグでプレ-するなんていうことは想像すらできませんでした。それが日本でプレーしていくうちに、アメリカでプレーしたいという気持ちが芽生えてくる。徐々に段階を経て、進んできたという感触がすごくあるんですね。アメリカに来てからも何年プレーできるかなとか全く分かりませんでした。それが最終的には19年まで続き、今日に至る。才能ある人たちもうたくさんいます。僕なんかもとても比較にならないぐらい、才能にあふれた人はいっぱいいます。でも、それを生かすも、殺すも自分自身だということですね。自分の能力を生かす能力というのは、また別にあるということは知っておいてほしい。才能があるのになかなかそれを生かせないという人はいっぱいいます。怪我に苦しむ人もいます。自分をどれだけ知っているかということがま結果に大きく影響しているということを知っておいてマイナスはないと思いますね。

-「51」という数字は、イチローさんにとってどういう数字ですか

サインする時に「51」がずっと使えるってのは、めちゃくくちゃ嬉しいですね。あとは今はまだ51歳なんで、そのタイミングでこれはまたなかなか特別なもんです。

-元チームメートから誰かから連絡ありましたか

まだ実は見ていないんですけど、メッセージの中身は見てないです。でもその中の1つに、サービス監督ですね。スコットからあったのがすごく嬉しかったですね。実は監督を昨年のシーズンの途中で退かれて、どのタイミングで連絡すればいいのかが分からなくて、連絡できなかったんですね。今日スコットから名前だけなんですけど、中身はまだ見てないんですけど、それがあったのはすごく嬉しかったです。もしジュニア(ケン・グリフィー)と、マイク・スウィニーからなかったら説教します。

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