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カズ、真相明かす「あれは違います」 衝撃落選後、岡田武史監督「自分の判断で帰した」を否定


元日本代表サッカー選手の三浦知良が、1998年のフランスW杯直前の選出からの「落選」について、「しゃべくり007」で新たな事実を披露しました。当時の岡田武史監督が「自分の判断で帰した」とされる一方、三浦は「自分たち(北澤 豪と共に)が帰ると言った」と明かしました。25人のキャンプメンバーから22人が大会登録される際、カズと北澤は若手が残り、自分たちが外れた結果に納得できず、「プロとして試合に出ないなら帰るべき」と考えたと述べました。この決断は当時の岡田監督のコメントと異なることから、サッカー界に新たな視点をもたらしています。

三浦知良(2025年1月11日撮影)

JFLアトレチコ鈴鹿クラブのFWカズ(三浦知良=57)が20日放送の日本テレビ系「しゃべくり007」(月曜午後9時)に出演し、日本サッカー史に残る衝撃の「落選」後、チームを離れて帰国した真相を明らかにした。

1998年6月2日。FIFAワールドカップ(W杯)フランス大会の直前、あまりにも有名な岡田武史監督の「外れるのはカズ、三浦カズ」について「正直言って、外れるとは自分は思ってなかったんです」と振り返った後、新たな事実を口にした。

「岡田さんが『自分の判断で帰した』という映像が残ってるでしょ? あれは違います。僕と北沢(豪)が『帰る』って言ったんです」

当時の岡田監督は、直前キャンプに25人を連れて行き、最終メンバーを大会登録の22人に絞った後も「帯同する」と明言していた。

カズも「あの時は(その後の23人やW杯カタール大会のように26人ではなく)22人だったと思うんですけど、市川(大祐)も入れて25人いたと思うんです。この25人は最後まで行くと全員が思ってたわけですよ」と前段を説明した上で、舞台裏を語った。

「外れて試合には出られなくても、チームとしてパスはもらえる。ベンチには入れないけど控室には入れる。その中で、僕と北沢はベテラン組だったし、自分たちは、あのタイミングでは外されることはないと思ってたんでね。外れる3人は(若手で)いい経験になると反対はしていなかったんですけど、いざ自分になった時に、やっぱり若い人だったらいいけど、プロとして、働く場所がなかったら帰るべきだと思ったんです。だから僕は『帰る』って言ったんです。協会としては、岡田さんとしては、一緒に来てほしいっていうのはあったと思います」

ともに落選の憂き目に遭った北沢から「どうするんですか?」と聞かれたことも明かし「『いや、帰るよ』と。『試合に出られないなら意味がない』。僕はその時、そういう考えだったんですね。ハッキリと決めて『帰ります』って。僕らの考えを尊重してくれて、帰らせてくれたんです」と“事実”を更新した。

岡田監督は当時「僕の読みが甘かった。残すのは得策ではないと判断した。影響力が大きい選手なので、チームにマイナスになると思って強制的に帰した」と説明していた。

実際、カズと北沢は通告の約1時間後、スイスの宿舎を出た。報道陣の目を避け、車を飛ばしてイタリア・ミラノへ。髪を金色に染めて帰国した。

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