ベルギー1部コルトレイクから加入した浦和レッズMF金子拓郎(27)が13日、沖縄・金武町での練習に参加し、浦和入り決断について語った。プロキャリアをスタートさせた今季J2の北海道コンサドーレ札幌への思いも明かした。【聞き手=保坂果那】
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-浦和加入の経緯
金子 だいぶ早い段階からオファーをいただき、今までも何度もオファーをいただいていた。自分も埼玉県出身ということもあり、めちゃくちゃ悩んだけど、浦和レッズでプレーするって決めて来た。
-海外でのプレー続行と悩んだ
金子 はい。やっぱり5大リーグに行くっていう目標で、それを成し遂げるために行ったので。簡単な決断ではなかった。
-札幌から23年夏にクロアチア1部ディナモ・ザグレブに期限付き移籍し、24年夏にコルトレイクに完全移籍。この1年半は
金子 メンタルが鍛えられた。きついこととか、理不尽なシチュエーションもたくさんあった中、多分日本では経験できなかったことなので。選手としては成長できた。(ディナモ・ザグレブは)最初行った時は監督もすぐ代わって、自分を連れて来た強化部の方も全部代わって、自分だけ蚊帳の外みたいな。練習の紅白戦すら出られずに、若手のユース年代の選手と一緒にシュート練習するみたいなのが、2カ月以上続いて。そういった中でも自分のやるべきことっていうのを諦めずにやって、チャンスがポッと来た中で結果を残して、試合に出ることができたので、そういった面でもやっぱり成長というのはあったかなと思う。
-苦しい中でも個性を消さない努力をした
金子 試合に出られない自分の力不足っていうのもあるけど、変に自信をなくさないようにって心がけていた。極端な話、監督の見る目がないぐらいの気持ちでやらないと、メンタルが持たないと思うので、練習を全力でやるっていうことだけを考えていた。
-ディナモ・ザグレブからコルトレイク移籍への経緯は。札幌からは復帰要請もあった
金子 (札幌からディナモ・ザグレブへは)レンタルだったので、そういう話(札幌復帰)もあった。まだその時は、自分の気持ち的にはもう少し海外でやりたいっていうのはあった。だけどその時もかなり悩んだ。札幌の状況(昨夏時点でJ1最下位)もわかっていたので。もちろんJ2に降格して欲しくなかったし、自分が助けたいって気持ちはあった。2カ月くらいずっと悩んで、いちサッカー選手として決断した。
-コルトレイクではリーグ戦16試合出場1得点だった
金子 楽しかったし、やりがいもあった。下位のチームだったので、試合の中ではほとんど守備の時間。ボールを持った時はすごい通用したと自分では思っているので、やりがいはあった。
-ディナモ・ザグレブとは違う
金子 ディナモはチャンピオンチームなので、ボールを保持しながら、チャンスはすごい回数があった中で自由にやらせてもらった。Jリーグみたいに力が拮抗(きっこう)していないので、上位と下位ではすごい力の差があると感じた。
-コルトレイクでもチームメートだったプロ入り同期のMF高嶺朋樹(27)が札幌に復帰した
金子 朋樹の決断というのは僕はすごいことだと思う。尊重する。お互い日本に戻って頑張ろうって話はした。朋樹が札幌をJ1に上げてくれると信じている。相当な覚悟で戻っていると思うので。
-同期のセレッソ大阪DF田中駿汰(27)とよく「大卒トリオ」と呼ばれていた。3人それぞれ地元のクラブに
金子 生まれ育った場所でプレーできる幸せは少なからずある。駿汰も朋樹もそうだけど、そういった中で活躍して、また対戦できればいい。