読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前、亡くなった。98歳。サッカー界との関わりでは、日本協会(JFA)の川淵三郎相談役(88)との対立が有名。Jリーグ初代チェアマン時代に激しく闘った歴史がある。
1993年(平5)のJリーグ開幕を巡り、両者は激しい応酬を繰り広げた。川淵氏は渡辺氏から「プロスポーツであるにもかかわらず、商業主義を否定している」と非難されてきた。
開幕当時は、企業名の問題で火花を散らした。渡辺氏が社長だった読売新聞社は、三浦知良やラモス瑠偉を擁したスター軍団で、初代年間王者の名門ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社。日本リーグからのプロ化に当たり、クラブ名から企業名を外して「ホームタウン名+愛称」で統一することを求めたJリーグと川淵チェアマンに渡辺氏は反発した。
川淵氏も「Jリーグに巨人はいらない」と企業名の存続を拒否。地域密着が進んだ契機となった一方で対立は激化の一途をたどり、翌94年には「独裁者」騒動が起きた。
「ヴェルディ川崎Jリーグ・チャンピオンシップV2祝賀会」に出席した渡辺氏が乾杯のあいさつで「企業サポーターがスポーツを育てる。1人の独裁者が空疎で抽象的な理念を掲げるだけではスポーツは育たない」と発言した。川淵氏も「独裁者に独裁者といわれて光栄」と応戦し、対決の構図が完全にできた。
98年に横浜フリューゲルスが横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に吸収合併されることが明るみに出た際にも、渡辺氏は「今みたいな川淵体制は考え直さなければダメだ。チェアマンが辞めない限り、Jリーグは滅びる」と言い放ち、読売のJからの撤退を示唆。実際に同年、読売新聞社はヴェルディ経営から撤退した。「(Jを)つぶすか? 我慢ならん」との物騒なコメントまで飛び出していた。
渡辺氏によるサッカーのプロ化の大反対は大きな論争となり、連日、メディアも大きく扱っていた。川淵氏は近年「十数年たってから感謝した。最高のPRになったし、逆にJリーグの理念が伝わった」と回想している。著書「黙ってられるか」(新潮新書)で渡辺と対談したことを引き合いに出し「渡辺さんは『僕はあの時、川淵さんに勝とうなんて夢にも思っていなかった』って。よく言うな、って思ったよ」と笑って振り返り、和解したことを認めている。