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【悼む】渡辺恒雄氏「たかが選手が」取材した日刊スポーツS記者…渡された自著には私への批判も


読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が肺炎のため死去しました。報道陣にとって、渡辺氏は度々注目を集める存在であり、「たかが選手が」という発言や諸々の場面で物議を醸しました。特にこの発言は、取材の経緯を巡って日刊スポーツの記者と深い軋轢を生みました。この取材では渡辺氏の鋭い目とユニークな対応が際立ち、日刊スポーツを除く全ての媒体に対しては取材に応じるポリシーを示していました。渡辺氏はその後、穏やかな姿勢に転じ、自著を記者に配布するなど、多少の和解の意を表す行動を取っています。しかし、記者との関係は複雑なままでした。その影響は、氏の自伝の中でも触れられており、記者は批判を受けつつ敬意も抱いていたようです。

報道陣の取材に答えて車に乗り込む巨人渡辺恒雄オーナー(2004年7月8日撮影)

<悼む>

読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。

 ◇  ◇  ◇  

虫の知らせなのだろか。いてつくような都内に初雪が舞った19日朝、ふと頭に浮かんだ。「ナベツネさん、次に表舞台に出てくるのは、年明けの賀詞交換会ぐらいか」。その後の訃報だったから余計と驚いた。

04年7月8日。皇居近くのホテルで、私の質問に対して渡辺氏が発言した「たかが選手が」という言葉が大騒動になった。渡辺氏は当時の取材のやりとりを徹底して調べ上げた。「日刊スポーツS記者によるハメ取材」として、渡辺会長から一般紙、雑誌などのインタビューで痛烈に批判をされた。

しばらくして囲み取材に応じるようになったが、自身も超一流の政治記者だったこともあり、取材には応じるというポリシーだろうか、日刊スポーツだけを閉め出したりすることはしなかった。実際、球界再編から1年後だった。例の発言が飛び出した同じホテルで取材した際には、発売されたばかりの自著「わが人生記 青春・政治・野球・大病」にサインを入れて、「これを皆さんに配ろうと思ってね」と穏やかな笑顔で紙袋から数冊取り出して、配りだした。同書では4ページにわたり、私への批判が記されている。なぜだろうか。手にしてから19年間、その部分にしおりは挟んだままだ。【03~05年巨人担当 沢畠功二】

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