<悼む>
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。
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虫の知らせなのだろか。いてつくような都内に初雪が舞った19日朝、ふと頭に浮かんだ。「ナベツネさん、次に表舞台に出てくるのは、年明けの賀詞交換会ぐらいか」。その後の訃報だったから余計と驚いた。
04年7月8日。皇居近くのホテルで、私の質問に対して渡辺氏が発言した「たかが選手が」という言葉が大騒動になった。渡辺氏は当時の取材のやりとりを徹底して調べ上げた。「日刊スポーツS記者によるハメ取材」として、渡辺会長から一般紙、雑誌などのインタビューで痛烈に批判をされた。
しばらくして囲み取材に応じるようになったが、自身も超一流の政治記者だったこともあり、取材には応じるというポリシーだろうか、日刊スポーツだけを閉め出したりすることはしなかった。実際、球界再編から1年後だった。例の発言が飛び出した同じホテルで取材した際には、発売されたばかりの自著「わが人生記 青春・政治・野球・大病」にサインを入れて、「これを皆さんに配ろうと思ってね」と穏やかな笑顔で紙袋から数冊取り出して、配りだした。同書では4ページにわたり、私への批判が記されている。なぜだろうか。手にしてから19年間、その部分にしおりは挟んだままだ。【03~05年巨人担当 沢畠功二】