DeNA三浦大輔監督(50)がニックネーム「ハマの番長」が誕生した由来を語った。
戸柱恭孝捕手(34)とともに12日、都内の日本外国特派員協会で会見。当初は「ダサいな」と思っていたあだ名も、今では気に入っていると明かした。
ドラフト6位で入団した三浦監督は、入団直後から目立つため、髪形をリーゼントにしていた。「リーゼント=ツッパリ=番長」という連想で、日刊スポーツに「ハマの番長」の言葉が紙面を飾ったのは、97年8月28日付の1面。中日を12奪三振で完封した紙面で、沢田啓太郎記者が1行目に「『ハマの番長』がまたやってくれた」と書いた。
三浦監督 2年目か1年目かぐらいでしたか。マスコミの方につけられた。見出しで「ハマの番長」を見て正直、第一印象は「ダサいな」だった(笑い)。僕らの時代より、もう一世代上の方。僕らの時代には番長という存在が、もういなかったので。
「ダサい」と感じたので嫌だったが、三浦青年の思惑とは別に「ハマの番長」は、どんどんファンに浸透していった。
三浦監督 恥ずかしかったが、ある時、小さい女の子に「ハマの番長!」と声をかけられて「もうこれはだめだな」と観念した。当時、佐々木主浩さんが「ハマの大魔神」とニックネームをつけられていた。(多くは)いなかったので、ニックネームをつけられることは、いいことなんだなと。逆にこの言葉を大事にしていこうと。それから「ハマの番長」が受け入れられるようになった。今では気に入ってます。
ブログのタイトルは「ハマの番長」。日刊スポーツでは21年から「月刊ハマの番長」を連載している。三浦監督は、見た目やニックネームのいかつさとは正反対の温厚な性格で、人前で怒りをあらわにすることはほぼない。それだけに、ウィック投手が降板を拒否した8月27日の阪神戦で見せた形相は、周囲に驚きを与えていた。【斎藤直樹】