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【五輪代表】野々村芳和チェアマン、大岩監督にエール 8歳「アゲパン」時代から「剛くん応援」


Jリーグ野々村芳和チェアマン(左)とパリ五輪サッカー男子日本代表の大岩剛監督(Jリーグ帝京)

パリオリンピック(五輪)サッカー男子日本代表が1次リーグ3連勝で首位突破を果たした。メキシコ五輪以来56年ぶりのメダル獲得に向け、準々決勝でスペインと対戦する。チームを率いる大岩剛監督(52)と同学年で、同じ静岡市清水区(旧清水市)で育ったJリーグ野々村芳和チェアマン(52)がこのほど取材に応じ、エールを送った。【取材・構成=佐藤成】

   ◇   ◇   ◇

野々村チェアマンが初めて大岩少年を認識したのは8歳の頃だった。「話したのは小学校3年の清水FCの時。何百人受けに来て、50人くらい選抜されて毎週サッカーをしていた」。同地区で行われた選抜チームで仲を深めた。隣の学区で家は近く、週1~2回の練習後は自転車で同じ方向に帰った。大岩家に泊まりや遊びに行ったこともあったという。

昔から「剛くん」と呼ぶ。「剛くんはいつもいっているけど、すげえ短パンを上げていた。ハイウエスト。その印象。背も大きかった」と懐かしむ。サッカーが盛んな地域で、後のJリーガー、日本代表が多くいた。1つ上の学年には藤田俊哉、同い年には山田隆裕、1つ下には望月重良、さらに下には平野孝らがいた。

野々村チェアマンは清水FCのキャプテンで、いわゆる「お山の大将」だったという。スーパースターぞろいのチームで「剛くん」の立ち位置は絶妙だった。「トップレベルではあるんだけど、うまいのがいっぱいいる中でやっているから、難しいポジションを小さい頃からやっている。俺らが見えないようなことを感じて経験しているんだと思う」と分析した。

うまい選手がひしめき合う地域で、小学3年から毎年セレクションで清水FCに選ばれ続けることは、簡単なことではなかった。「お山の大将」が集まるトップ層にいながら、「剛くん」はきちんと役割を認識していた。エリート集団で必要なことをこなし、欠かせない存在だったという。「勝つため、チームの中にどんな人がいないといけないか。チームのために働ける」。全体に目を配る現在のチーム作りにも通じる力を幼い頃から身につけていた。

中学時代も学校は別々だったが、清水FCの活動で距離感は変わらなかった。高校は野々村チェアマンが清水東、「剛くん」が清水商業(現・清水桜が丘)に進学し、同地区のライバルとしてしのぎを削った。

大学、プロでも戦ったが、関係性はずっと「剛くん」だった。「ずっとコンタクトをとるとかではない。現場で会えば話す、そんな感じ」。現役引退後、野々村チェアマンが北海道コンサドーレ札幌の社長となった一方で、大岩監督は指導者としてサッカーに携わった。扱う対象は違えど、ともに組織をマネジメントする立場になった。「監督もおれも、何かを自分でやるわけではない。いかに良いメンバーで良い才能持っているひとが同じ方向を向いて、かけ算になるか、みたいなもの」と社長哲学を語った。大岩監督もスタッフと選手に役割を明確に与え、責任感を持たせて能力を最大限に引き出し、「勝つ組織」を作りあげてきた。組織論は似通っているから、五輪代表の躍進にも驚きはない。

「トップレベルでやっていくためにどう努力していくかという個人目線でもそうだし、勝っている経験が多いから勝つために必要なもの、戦術的なものもだけど、グループの空気感で大切なものは一番分かっているんじゃないかな。ここまでうまくやっているのは全然うなずける」

互いに不惑を迎え、付き合いは40年を超える。昨年、「人を紹介したい」と連絡を受けて食事をした。話すのはサッカーの言葉ばかりだった。清水の「ご近所さん」から、Jリーグのトップと五輪代表監督に。自身が長を務める組織から、国内組の選手を供給する間柄になった。

「チェアマンだからとかではなく、おれはもう100%応援している。小さい頃からの仲間の剛くんを、本当にがんばってほしいなと応援している。ひたすら8歳から知っている剛くんを応援している。地元のサッカー仲間とその周りに人はみんなそうだと思う」。幼なじみの成功を心から願っている。

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