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【阪神】甲子園球場100年「何も変わってないなあ」改修直後の指揮官呟きに歴史の継承を確信


昨シーズン日本一に輝いた選手たちのイラストと写真に納まる阪神粟井球団社長(撮影・上山淳一)

甲子園球場は今年8月1日に開場100周年を迎える。きょう23日は節目の記念日の100日前。07年から同球場の大規模リニューアル工事に携わり、09年からは4年間、第26代球場長も務めた阪神粟井一夫球団社長(59)に甲子園への思いを聞いた。

   ◇   ◇   ◇

粟井の心には今も、心躍った幼少期の思い出がある。祖父に連れられた甲子園で夏の高校野球を観戦。食堂でカレーライスを頬張り、汗を拭いながらアイスクリームを食べた。「甲子園に触れた最初の思い出。おじいちゃんが野球好きで、連券(大会通し券)を買っていて」。仕事の合間を縫って行くほど野球好きな祖父に連れられ、足を踏み入れた聖地。5歳の夏には、延長18回の激闘を演じた松山商-三沢の伝説の決勝もスタンドから見届けた。

縁は深い。父は大阪・高津高の一員として夏の甲子園に出場。84年には、母校大阪・三国丘の50年ぶりのセンバツ出場をアルプスから応援した。88年に阪神電鉄に入社し、07年からは甲子園球場の大規模リニューアル工事に携わった。

老朽化に伴う耐震補強を検討する中で、大幅なリニューアルプランが浮かんだ。「95年の震災の後は会社全体も苦しく、力を入れることができなかった。野村監督、星野監督が来られて03年に優勝して、チーム作りにも球場にも、しっかりお金をかけようという空気になりました」。粟井は何度も何度も、企画書を出し続けて提案。新たな甲子園をつくる歩みが始まった。

どんなコンセプトにするか。04年5月、野球の本場、米国視察に出向いた。メジャー7球団、マイナー2球団を巡り、球場に携わるさまざまな人に話を聞いた。メジャーのトレーナー室は、トレーニングルームだけでなく選手のロッカールームも見渡せる場所にある。新鮮な驚きもあった。

日本人メジャーリーガーたちの意見にも耳を傾けた。当時パドレスの大塚晶文は「日本のマウンドは柔らかすぎる」と教えてくれた。ヤンキース松井秀喜はビジターにもかかわらず貴重な試合前の時間を割き、立ち話で約30分間も思いのたけを話してくれた。「多少の不便、使い勝手の悪さは我慢する。伝統のある古い球場は、古い球場のままでいてほしい。そこに生きた伝統が詰まっているから、それを失いたくない」。松井の熱い言葉を、帰国後の社内でそのまま伝えた。安全性と快適性を求めながら、忘れてはいけない歴史と伝統の継承。大切にすべきものが明確になった。

もちろん一大プロジェクトは一筋縄ではいかない。「両翼99メートル、中堅122メートルに変えよう」「銀傘をなくそう」といった意見も出ていた。大切な甲子園の風景を守るために、根気強く説得した。「それでは形が変わってしまいます、と。分かってもらうために、戦いましたよ(笑い)」。大半の工事を終えた09年、当時の監督、阪神真弓明信と球場を歩いた。グラウンドからスタンドを見渡した指揮官は「何も変わってないなあ」とつぶやいた。その言葉を聞いた瞬間、守るべきものを守れたと確信した。

聖地と呼ばれる甲子園の一番の魅力。それは「高校野球とプロ野球、両方の場所であること」だと言う。09年4月から4年間務めた第26代球場長として、甲子園でのプレーを心から喜ぶ球児たちの姿がうれしかった。リニューアルをオフ期間に3期に分けて行ったのも「この工事のために、高校球児が来られない時期をつくりたくない」という思いから。プロになった選手のプレーからも、甲子園へのリスペクトを感じると自然とうれしくなる。

昨年、粟井はヌートバーが在籍するカージナルスの本拠地、ブッシュ・スタジアムを訪れた。下位低迷が続いても、球場は熱気に包まれていた。「文化がよく似ているなと思いました」。ふと、スタジアムマネジャーが言った。「とにかく球場を満員にする。満員で応援することが楽しいと言って来てくれるうちに、チームは絶対強くなる」。球場がファンを呼び、ファンがチームを強くする。阪神は昨季18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を達成。「常に満員の甲子園がいい」と粟井が心に抱いてきた思いが結実した。

歴史を受け継ぎ、次の100年へ。「日本一であり続け、日本一を決める場で、日本一愛される球場」。3つの「日本一」が新たなコンセプト。伝統は大切に受け継ぎながら、次の100年を紡いでいく。(敬称略)【磯綾乃】

◆粟井一夫(あわい・かずお)1964年(昭39)生まれ、大阪府出身。88年に阪神電鉄入社。阪神パークに配属後、新規事業のレストランに出向するが、95年の阪神大震災で全壊。ウエルネス阪神をへて、98年から電鉄本社レジャー事業部。甲子園球場の入場券システムの開発などに続き、球場リニューアル担当課長としてプロジェクトを先導。09年4月から13年3月まで第26代甲子園球場長。同年4月から球団常務取締役。17年12月から阪神電鉄執行役員。22年4月から球団副社長を務め、24年1月から球団社長に就任した。

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