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ベスト8で欧州挑戦を=「闘将」柱谷氏、盟友にエール―W杯サッカー1カ月前


 日本代表の森保一監督は1992年、ハンス・オフト氏によってA代表に大抜てきされた。そのオフト・ジャパンで主将を務めていたのが「闘将」と呼ばれ、DFやMFとして活躍した柱谷哲二氏(58)。4歳下の後輩の印象は、今も鮮明に残っている。  「テツ、森保を頼むな」。当時の宿舎は2人部屋で、オフト氏はポジションの近い柱谷氏と森保氏を同室にした。当時、森保氏の知名度はまだ低く、柱谷氏は「(名字を)何て読むの? みんな名前の読み方も分からなかった」と笑いながら振り返る。  認識が一変したのが、同年5月のキリン杯アルゼンチン戦。代表デビューした森保氏は、ボランチに入ってパスコースを消し、ボールを奪取。強豪相手にも動じることなく淡々とプレーした。試合は0―1で敗れたが、「井原(正巳)と、こんなに守るのが楽なのか。あいつ大したもんだと話したのを覚えている」。  柱谷氏が「一匹おおかみの集まり」と表現したチームでも、森保氏はピッチに入れば堂々としていた。「ラモス(瑠偉)さんにパスを寄こせと言われても絶対に出さない。オフトに外へ出せと言われていたから。ラモスさんは『冗談じゃないよ』と怒っていたけど、誰がリーダーか分かっている」。当時からぶれない芯の強さがあったことを示すエピソードだ。  目前でW杯の夢が散ったあの夜のことも忘れていない。「森保はベッドでうつぶせになって、ずっとすすり泣いていた。現実を受け入れられなかったのだろう」。普段は笑顔を絶やさない森保氏が初めて見せる姿だった。  その悲劇を味わったドーハに、盟友が監督として戻る。「不思議だよね。W杯でベスト8に入って、欧州のトップで監督をやってほしい。今の日本人では森保しか持っていない権利。絶対に勝ってほしい」。熱い言葉でエールを送った。  ◇柱谷哲二氏の略歴  柱谷 哲二氏(はしらたに・てつじ)国士舘大を経て日産自動車(現横浜M)やV川崎(現東京V)でプレー。日本代表で国際Aマッチ72試合に出場(6得点)、主将を務めた。現役引退後は東京Vや水戸などを率い、現在は岩手・花巻東高で指導。兄も元日本代表の幸一氏。京都市出身。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕森保一氏との思い出やW杯への期待を語る元日本代表主将の柱谷哲二氏=4日、横浜市 〔写真説明〕W杯米国大会アジア最終予選最終戦、後半ロスタイムにイラクに同点ゴールを決められ、落胆する日本の選手。(奧左から)森保、ラモス、吉田=1993年10月28日、カタール・ドーハ
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