
第二次世界大戦末期の1945年4月、日米両軍による地上戦があった沖縄県の伊江島(伊江村)で昨夏、映画撮影の準備中に戦死者とみられる20人分相当の遺骨が見つかったことが、村や映画関係者への取材で判明した。現場からは鉄かぶとや水筒、手投げ弾なども見つかり、遺骨は日本兵の可能性がある。厚生労働省がDNA鑑定などを実施して身元の特定を進めている。
日米で約20万人が亡くなったとされる沖縄戦から今年で80年がたつが、沖縄では今も遺骨の収集が続いている。約20人もの遺骨がまとまって見つかるのは近年珍しい。
発見した伊江村西江前の造園業、知念洋輝(ひろき)さん(38)によると、2024年8月下旬、映画「木の上の軍隊」(今年7月に全国公開予定)の撮影で使用する木を一時的に植えるため、自宅敷地内にある資材置き場を重機で掘ったところ、遺骨が出た。
県の戦没者遺骨収集情報センターなどに相談しながら、延べ10日ほどかけ、深さ約5メートルまで従業員らと掘り進めると、次々と骨が見つかった。日本兵のものとみられる遺品の他、手投げ弾や弾薬、無線機のようなものなどもあった。遺骨は同センターが仮安置し、厚労省が鑑定を進めており、20人分に相当するという。
知念さんは「最初は驚いた。戦後80年の節目に見つかり、一日も早くご遺族の元に返したいという使命感で掘り進めた。平和教育を受け、おじい、おばあからも戦争の話は聞いていたが、急に戦争を身近に感じた」と振り返った。
映画は沖縄戦を巡って伊江島で起きた実話を基に描く。監督・脚本を手掛けた平一紘(かずひろ)さん(35)は「遺骨が出てきたという話を聞き、ずっと土の中で眠っていたんだという悲しい思いと、映画の撮影がきっかけでやっと遺族と会えるかもしれないという思いが同時にあった。ここは戦争の現場だったんだということを再認識した」と話した。
伊江島には45年4月16日、米軍が上陸した。日本軍の守備隊は島のほぼ中央にある「城山(ぐすくやま)」のふもとの地下陣地を拠点に抗戦し、6日間にわたって激しい戦闘になった。村によると、日本側の死者は軍民合わせて約3500人で、うち約1500人が一般住民だった。住民も米軍への斬り込みに参加させられたほか、壕(ごう)などで集団自決が相次いだ。島での出来事は「沖縄戦の縮図」とも言われる。
【宗岡敬介、喜屋武真之介、比嘉洋】