
太平洋戦争末期の大阪空襲(1944年12月~45年8月)で犠牲になった朝鮮半島出身者についての実態調査が近年、市民の手で進んでいる。在野の研究者や弁護士、ジャーナリストらでつくる実行委員会は第1次大阪大空襲から80年となる13日、大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)前で追悼集会を開く。
大阪府内では50回を超える米軍の空襲で約1万5000人が犠牲となった。2024年3月現在で9157人の名前などが死没者名簿に掲載され、ピースおおさかで保管されている。だが、追悼集会の実行委員で元高校教諭の横山篤夫さん(83)によると、朝鮮半島出身者の名前はほとんど分かっていない。
市民団体「大阪空襲被災者運動資料研究会」に所属する横山さんは、大阪空襲や朝鮮人強制連行について調査する中で、朝鮮半島出身者の空襲体験談があまり見当たらないことに気付いた。その理由について、横山さんは日本人以外の被害者への関心が低かったことに加え、半島出身者も日本社会での差別や戦後の祖国分断の混乱で体験を残す余裕がなかったとみている。
横山さんは19年1月、「空白」となっている朝鮮半島出身者の空襲被害について調べ、追悼の場を持つことを市民団体の会合で提案。追悼集会実行委員会を結成した。
遺族や体験者に聞き取り
実行委は当時の人口比率から大阪空襲では約1200人が犠牲になったと推計。行政や寺が保管する名簿や慰霊碑などを調査し、これまでに167人を朝鮮半島出身者と判断した。遺族や体験者への聞き取りも進め、22年に冊子を発行した。
実行委の聞き取りをきっかけに、朝鮮半島出身者の遺族が空襲で亡くなった親族の死没者名簿への登録を届け出たり、名簿の記載を当時名乗っていた通名(日本名)から本名に変更するよう申請したりしたケースもあった。
追悼集会は21年以降、毎年3月に開かれている。実行委は強制連行などで大阪にいた中国人や、連合国軍捕虜の犠牲者についても着目するようになり、昨年の集会では大阪空襲で亡くなった中国人8人と米国人捕虜3人の名前も読み上げた。
13日は午後2時から、追悼文の朗読や活動報告の後、ピースおおさか内の追悼施設で献花する予定。横山さんは「80年の節目に、大阪空襲の全ての犠牲者に思いを寄せ、追悼することの意味を今一度考えてもらいたい」と参加を呼びかけている。
在日コリアンの人権問題などに取り組む呉時宗(オシジョン)さん(84)=堺市=は20年に横山さんの聞き取りに協力した。呉さんは在日2世で、大阪市西成区で第1次大阪大空襲を経験、爆撃機の爆音や炎で真っ赤になった空を覚えている。「当時の大阪には日本の植民地政策などで日本に来ざるを得なかった朝鮮人がたくさんいた。空襲の犠牲者も大勢いたはずで、その記録と記憶を掘り起こして伝えることは大切だ」と話した。【高木香奈】