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首里城地下の日本軍司令部壕が県史跡に 沖縄戦遺構の指定は初


沖縄県は、1944年に旧日本軍が沖縄戦の指揮のために構築した第32軍司令部壕を、県の史跡に指定することを発表しました。この壕は、住民を巻き込んだ持久戦の指導的役割を果たした重要な場所として評価されています。壕の建設は1944年12月に始まり、司令官の牛島満が指揮を取っていました。この壕はアメリカ軍が沖縄本島に接近するまで使用され、戦後、米軍の記録では総延長が863メートル以上であることが判明しました。現在は一部が崩落し、立ち入り禁止ですが、県は公開に向けた準備を進めています。玉城知事はこの遺跡が戦争の悲惨さを伝え、平和の大切さを学ぶためにも重要であると述べています。

 沖縄県の玉城デニー知事は28日の定例記者会見で、第二次世界大戦末期の沖縄戦を指揮するために旧日本軍が那覇市の首里城地下に掘った第32軍司令部壕(ごう)を29日付で県史跡に指定すると発表した。「『住民を巻き込んだ組織的持久戦の展開』という方向性を決定づける判断がされた場所として重要」とした。沖縄戦の遺構を県の史跡に指定するのは初めて。

 壕は第32軍が1944年12月に構築を始め、45年3月下旬以降、牛島満司令官らが壕内から作戦を指揮した。兵士や動員された学生ら約1000人がいたとされる。沖縄本島に上陸した米軍が迫り、45年5月に司令部が南部に撤退するまで使われた。戦後に壕に入った米軍の記録によると、総延長は863メートル以上。一部が崩落し、現在は立ち入りが禁止されているが、県は公開に向けた検討を進めている。

 玉城知事は「戦争体験や教訓の風化が懸念される中で、戦争の不条理さ、残酷さ、醜悪さを知るとともに、平和の尊さを伝える重要な遺跡だ」と述べた。【宮良貴和子】

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