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長崎で発見の被爆遺構 土地所有のジャパネット側が説明板設置を了承


長崎スタジアムシティの建設地で見つかった旧福岡俘虜収容所第14分所の遺構について、保存活用を求める市民と土地所有者のジャパネットホールディングス、長崎市が協議を行った。ジャパネットは、14分所の説明板を設置することを了承。また、犠牲者の追悼記念碑の移設について検討することとした。長崎市は2022年に遺構を確認したが、被爆遺構としての保存価値を認めていなかった。この遺構は外国人捕虜が原爆で被害を受けた歴史的意義を持つとされ、市民有志は遺族が訪れる現地での追悼の重要性を強調している。

 長崎市幸町の長崎スタジアムシティの建設地で旧連合国の捕虜が収容された福岡俘虜(ふりょ)収容所第14分所の基礎部分の被爆遺構が2022年に見つかっていた問題で、遺構の保存活用を求める市民有志と土地所有者のジャパネットホールディングス、長崎市が9日、同市で協議した。ジャパネット側は14分所の説明板を長崎スタジアムシティの敷地内に設置することを了承した。【尾形有菜、樋口岳大】

 市民有志は、長崎原爆資料館近くに建立された14分所の犠牲者の追悼記念碑を長崎スタジアムシティの敷地内に移設することも要望し、ジャパネット側は社内で検討すると答えた。

 市発行の「長崎原爆被爆50年史」などによると、14分所は第二次世界大戦中の1943年、爆心地の南約1・7キロに開設された。オランダ人やオーストラリア人らの捕虜約540人が収容され、原爆投下前に病気などで約100人が死亡。原爆でオランダ人8人が犠牲になり、建物はほぼ全壊、全焼したとされる。

 長崎市は22年4月、長崎スタジアムシティ建設地の南東部分でれんが積みの基礎とみられる部分などを確認したが、残存状況が局所的で被爆の痕跡が確認できないなどとして「保存すべき被爆遺構ではない」と判断。当時、市は遺構が見つかったことを報道機関に公表したり、被爆遺構の保存活用について話し合う市原爆被災資料審議会の意見を聴いたりしていなかった。

 元捕虜の追悼や遺族との交流に取り組んできた被爆2世の平野伸人さん(78)らが24年8月の毎日新聞の報道で遺構が見つかっていたことを知り、「外国人捕虜が原爆の被害に遭ったことを示す歴史的、社会的意義が大きい被爆遺構だ」として保存活用を求めていた。

 9日に長崎スタジアムシティであった協議で、平野さんは「今も毎年のようにオランダなどから元捕虜の遺族が訪れている。現地で追悼することが遺族にとって非常に重要だ」と強調。ジャパネット側は「現場に銘板などを設置することは了承している。なるべく目に付くような場所とするよう検討している」と答えた。

 協議後、ジャパネット側は説明板の設置場所として検討している敷地内の歩道部分に市民有志らを案内した。

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