自宅で母がいたはずの場所には、あふれた川の濁流とともに家の壁を突き破って流れ込んだ巨大な木が2本、横たわっていた。能登豪雨で一時孤立した石川県輪島市門前町七浦(しつら)地区では、足が悪かった中村菊枝さん(75)が、自宅にいながら氾濫した皆月川の水にのまれて亡くなった。
「立ち上がるのもやっとだった。逃げ切れなかったのかも」。同居していた次男の田辺敬典(たかのり)さん(46)はそう悔やんだ。
9月21日の朝、1階で横になっていた菊枝さんに「何か欲しいものある?」と声を掛けると「特にないよ」と返事があった。その直後、敬典さんは用事で出掛けた。
豪雨で大雨特別警報が出され帰途を急いだが、泥水と流木にはばまれ、自宅にたどり着けなかった。あれが最後の会話になってしまった。
「優しい母親だった」
やんちゃだった敬典さんが父とけんかすると、いつも菊枝さんが仲裁してくれた。体が元気だった頃はレジ打ちのパートで稼いだお金を、5人の孫のプレゼントに使っていた。
被災2日後の9月23日夕、敬典さんは自宅から約3キロのところまで何とか車を進め、そこからは歩いてようやく帰宅できた。
1階には流木と泥が1メートルほど積もっており、菊枝さんの姿はなかった。2階は出掛けた時と変わらないきれいな状態で、階段さえ上がることができれば助かったとみられる。
元々左膝が悪かった菊枝さんは、元日の能登半島地震の後に避難先の階段で転び、右足首を骨折した。
入院中には記憶障害も起きた。更に膵臓(すいぞう)がんも判明し、抗がん剤治療で髪が抜け、食欲が落ちた。
それでも8月にがんの手術を受け、その月末に退院。体調も少し回復してきたように見えた。そんな中で豪雨に見舞われた。
七浦地区の区長会長を務める伏見孝一さん(75)は「ここは住民同士のつながりがうんと強い。『逃げれやー』と必ず声を掛け合って、助け合って避難する」と話す。
あの日、外出していた敬典さんにも近所の住民から所在を確認する電話が入った。豪雨とは知らず「買い物に出ている」と気軽に答えた。菊枝さんも同行していると勘違いされたのか、住民が避難する時の声掛けから菊枝さんが漏れてしまったという。
敬典さんは自問する。足の悪かった母をどうすれば助けられたのか――。
「もし一緒に出掛けていたら」「もし一人で家にいることを伝えられていたら」……
答えが見つかることはなく、頭の中で「もし」だけが巡っている。【長谷川隆広】