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英王室、天皇陛下にガーター勲章を授与 刻まれた日英の歴史


 英王室は25日、天皇陛下に英国最高位の「ガーター勲章」を授与した。鮮やかな青の大綬から「ブルーリボン」の別称があり、外交戦略の手段として使われてきた。日本では明治以降の歴代天皇に贈られてきたが、昭和天皇は一度剥奪された。華やかな勲章に刻まれた日英の歴史とは。

 ガーター勲章は14世紀、君主の意思で授与される最高栄誉として創設された。「ガーター(靴下留め)」の名称は、エドワード3世(在位1327~77年)が主催する舞踏会で、ある伯爵夫人が靴下留めを落とす失態をしたが、拾って身に付けた国王が「このガーターを名誉の印とする」と宣言し、夫人を救った騎士道精神に由来するとされる。

 英国はガーター勲章を同盟強化など外交の切り札として使ってきた。日本に対しては同盟関係にあった1906年、エドワード7世が日露戦争の勝利を聞いて存在の大きさを重要視し、明治天皇に贈った。非キリスト教徒への初の授与だった。

 王室と皇室の交流は深まり、大正天皇(12年)、昭和天皇(29年)にも授与された。しかし、41年の第二次世界大戦開戦で敵国になると、ジョージ6世の命令で昭和天皇の名前は受章者名簿から削除された。

 勲章を巡り再び動きがあったのは、それから30年が経過した71年のことだ。

 「もともと一度差し上げたものなのだから、適当な機会にノーマルな状態にしたいと考えていただけである」

 元駐英大使の故湯川盛夫氏が記録したエリザベス女王の発言だ。外務省外交史料館に残る外交文書によると、湯川大使は同年4月、女王からウィンザー城での晩さん会に招かれた。歴代のガーター勲章受章者の紋章が飾られた場所で「暖かい御措置」に礼を伝えると、女王がそう応じたという。「措置」とは同年秋に国賓として昭和天皇が訪英するにあたり、女王が名簿復帰を表明したことを指すとみられる。

 同年10月5日、昭和天皇はバッキンガム宮殿でガーター勲章をつけて女王主催の晩さん会に臨んだ。女王は「過去が存在しなかったとは偽れない。両国民が常に友好的であったと偽りは言えない。だが、この経験ゆえに、二度と同じことが起きてはならないという決意を固くする」とスピーチ。国民に反日感情が根深く残る中で、友好の姿勢を示した。

 ガーター勲章の長い歴史の中で、一度剥奪された名誉が回復した事例は昭和天皇だけだという。

 平成になり、当時天皇だった上皇さまが98年に国賓として訪英する際もガーター勲章の授与が英国側から公表された。戦時中、旧日本軍に収容された多くの英軍捕虜が強制労働を強いられたことから、戦後50年が過ぎていた当時でも厳しい対日感情は残っていた。授与が明らかになると、元戦争捕虜の団体が抗議の手紙をエリザベス女王に送るなど反発の声が上がった。

 同年5月26日、英国に到着した上皇さまが馬車で移動する道中、沿道には馬車に背を向ける元戦争捕虜の姿があった。「歓迎しない」の意思表示だった。

 バッキンガム宮殿で開かれた宮中晩さん会。上皇さまはガーター勲章を着用して出席された。「戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えますが、こうしたことを心にとどめ、滞在の日々を過ごしたい」とあいさつし、英国内の抗議に配慮した。

 25日、天皇陛下はチャールズ国王からガーター勲章を授与され、それを身につけて晩さん会に臨まれた。英国政治外交史に詳しい君塚直隆・関東学院大教授は「ガーター勲章は現存するヨーロッパの栄誉の中では最古であり、その存在感は大きい。注目度の高さは英国内のみにとどまらない。5代続けて授与されることは、改めて日英の結びつきの強さを世界に示すことになるだろう」と話している。【山田奈緒】

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