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困難極めたマレー半島行軍 鉄橋や道路破壊 戦中写真を読む/2


 今年2月、マレーシアに赴いた。太平洋戦争下、マレー半島を南下した銀輪部隊が、当時どのような環境の下で行軍をしたのか、「毎日戦中写真」と比較することが目的だった。

 銀輪部隊が南下したのと同じ時期にこだわり、彼らがたどった半島西部の道を選んでバスと徒歩で移動。日本の真夏日のような気温が続く。起伏が激しい森林の中を、時には河川や湖沼にかかる橋が爆破された道を、自転車で走ることは困難を極めたはずだと確認できた。

 銀輪部隊とはいえ、戦車やトラックが先頭を走っており、後続には歩兵や軍用動物が続いた。それでも、特に銀輪部隊の様子が、地元のマレー人の目には異様に映った。

 日本軍の4倍以上の兵力を誇った英連邦軍も、陸路を南下してきた日本軍に意表を突かれ、橋や道路を壊しながら逃走した。日本軍は、破壊されたインフラと格闘しながら、時には自転車を抱えて河川を渡った。こうした様子が当時の報道写真や日本ニュースの映像に残されている。

 銀輪部隊の存在は、声楽家・藤井典明の「勇む銀輪」や、スター歌手・松平晃の「走れ日の丸銀輪部隊」などの歌でも浸透した。戦後、その記憶は国内では失われたが、マレーシアやシンガポールには今も残る。(貴志俊彦・京都大教授)

銀輪部隊

 1940年、仏領インドシナ侵攻のために日本陸軍が導入した。大編成の部隊を迅速に進軍させることが目的で、主に日本製の自転車が使われた。シンガポールの攻略は銀輪部隊の投入もあって、わずか2カ月で実現した。

おことわり

 この連載の写真説明は、当時の記述を基に、現在の用字用語に即して表記します。「○○基地」「〇〇方面」「〇〇部隊」など軍事機密として伏せ字にされていた地名は、そのまま表記します。

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