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「町役場跡地に職員慰霊碑を」 遺族の願いを町拒否 すれ違い、なぜ


 「私たちの思いがもてあそばれ、裏切られた」

 2023年12月下旬。岩手県釜石市の小笠原人志(ひとし)さん(71)は釜石に隣接する大槌町の役場で、平野公三町長(67)に向かって語気を強めた。認められると見込んでいた要望を拒まれ、憤りを隠せなかった。

 津波にのまれた町で、慰霊碑を建立する構想が宙に浮いています。遺族の願いは行政に聞き入れられず、思うような実現は見通せていません。東日本大震災からまもなく13年。復興の影で、今も鎮魂と伝承を巡る思いがすれ違う被災地があります。(全4回の第1回)

     ◇

 小笠原さんは、11年3月の東日本大震災で公務中に犠牲となった大槌町職員の遺族有志の会で代表を務める。自身は、福祉課職員だった長女裕香さん(当時26歳)を失った。現役の職員有志らと、死亡者や行方不明の職員を弔う慰霊碑を私費で建立しようと活動している。

 建立場所として役場跡地の一部を無償貸与するよう町に要望したのは23年3月。跡地に建ててこそ鎮魂と震災伝承を両立できるとの考えからだ。平野町長は当時「遺族に寄り添う」と応じていたが、9カ月たって手のひらを返した形だ。

 大槌町は三陸沿岸南部にあり、地元で取れる秋サケは「南部鼻曲がり鮭(ざけ)」の名で知られる。震災では人口の8%に当たる1286人が犠牲になった。

 犠牲者には当時の町長ら町職員と町の関連団体職員の40人も含まれる。多くは低地にあった役場前に置かれた災害対策本部の周辺で津波に遭った。町長が津波に流される混乱の中、町民への避難指示も出されなかった。

 娘はなぜ、どのように津波にのまれたのか――。晴れない思いを抱えて7年余りたった頃、小笠原さんは町と対峙(たいじ)した。他の職員遺族とともに死亡時の状況を明らかにするよう求め、伝承のため津波で全壊した役場庁舎の保存にも動いた。死亡状況の調査は実施され、裕香さんが出先から役場へ戻る途中で津波に遭ったことなどが分かったが、庁舎は解体された。

 役場跡地への慰霊碑建立を思い立ったのは、21年に町が跡地活用をテーマに開いたワークショップに参加したのがきっかけだ。「町役場で多くの犠牲者が出たことを後世に伝える。そして二度と出さない」。その願いを形にしようと考えた。

 ところが、町は法律を盾に要望に応じなかった。

 役場跡地は現在、緑地となっており都市公園法の対象で、「一部の職員名を刻んだ慰霊碑は法の趣旨にそぐわない」と判断したのだ。町が情報公開した内部資料には、慰霊碑は「都市公園利用者の利便の向上を図るうえで有効と認められない」とある。

 町長が一時、要望に沿う姿勢を示したのは「政策判断の前に私情が先走った」と副町長や担当者は釈明する。町は、代案として現在の役場敷地内の用地を提供する意向だ。それなら職員や役場を訪れる人たちに震災を伝える意義があるという。

 小笠原さんは「震災当時に起きたことは、その場所でないと十分伝わらない」と話し、あくまで役場跡地への建立にこだわる。

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