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てんかん、いじめ…乗り越えた26歳 ある野球選手の発言が転機に


 「なんで私を病気で産んだの」。広島市安佐北区の桑原奈央さん(26)が幼いころ、母親に漏らした言葉だ。桑原さんは長年てんかんを患い、小学校ではいじめにも遭った。現在は苦しみを乗り越え、いじめ、障害などでつらい思いをする人たちに生きる希望を与えようと支援を広げている。悩みを抱えた人が舞台に立つ着物のファッションショーを開き、居場所づくりのための飲食店開業の準備を進めるなど、活動範囲は多岐にわたる。【井村陸】

 桑原さんの記憶に強く焼き付いているのは小学3年の出来事だ。放課後は毎日、自宅近くの道路で近所の友だちと鬼ごっこをするのが楽しみだった。鬼から走って逃げていると「あれ?」と思い、足がふらついた。泡を吹いて倒れ、意識を失い救急車で運ばれ、病院のベッドで目が覚めた。

 ベッドの前にいた男性から「お父さんの名前分かる」と質問された。思い出すことができず「誰ですか」と返答していた。なぜなのか分からない。その時は父親のことを認識できなかった。

 桑原さんが初めて発作を起こしたのは生後8カ月。てんかんと診断された。症状は重く、大発作の時は前後の記憶が飛び、意識障害もある。小6の時は週に1回ほど発作に襲われ、中1までに3度救急車で搬送された。

 小学校ではてんかんを理由にいじめも受けた。クラスメートから「勉強できないのは障害者だから仕方ないんじゃない」と言われ、何度も教科書や靴を隠された。

 母親と二人きりになったある休日の昼、苦しみに耐えきれず「もう生きたくない。殺してください」と言い放った。てんかんでなければつらい思いをしなかったのではという気持ちから出てきた言葉だ。母は涙を流していた。

 てんかんは脳の外傷や腫瘍などさまざまな原因で起こる。転倒やけいれん、呼びかけに返事ができないなど症状はさまざま。患者は100人に1人といわれ、国内に約100万人いると推定されている。

 桑原さんにとって転機となったのは、2013年秋のプロ野球ドラフト会議。広島カープから1位指名を受けた大瀬良大地投手の弟がダウン症だということを知った。「弟がいたから野球を頑張ることができた」と話す大瀬良投手が、幼いころから野球が好きな弟をかわいがる姿がテレビに映し出された。

 障害を抱えていても差別せず、一人の人間として受け入れる心に感動し、病気でいじめに遭ってきた自分に勇気をもらったといい、「大瀬良投手から生きる希望をもらったように、いつか自分も苦しむ人を勇気づけたい」と思うようになった。

 人生に絶望していた時期から立ち上がるまでの日々を文章にまとめ、23年3月に電子書籍「人生は一つの教科書」として出版。前向きな目標を持って生きるきっかけづくりになるよう、自分の体験と思いを語る講演会はこれまで3回開いた。

 23年12月に開いた着物ファッションショーは、夫からDVを20年以上受けていた女性や視覚障害の女性ら6組が参加した。出演者は自分が今まで努力してきたこと、苦しんだことなどをランウエーでそれぞれ10分間ずつスピーチ。会場に共感が広がった。

 今は着物のレンタルができる飲食店の開業に向け、準備に忙しい。料理を提供するだけではなく、悩みを抱えた人同士が意見交換し、居場所となることを目指している。

 桑原さんは「生きる価値がなく死にたいと思っている人はたくさんいると思う。一つ一つの活動を通じて多くの人に自分自身のことを好きになってもらい、人生を楽しんでほしい」と話した。

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