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地形・目印…北朝鮮工作員の接線地点 順にたどると感じる"既視感"


 北朝鮮の工作員と手引き役が出会い密出入国する地点を指す「接線ポイント」が新潟県内の沿岸6カ所にあったと、北朝鮮関係者の著書に書かれている。どういう所が選ばれているのか知りたくて、本を手に現地を歩いた。(第1回/全2回)

 本は「わが朝鮮総連の罪と罰」(文春文庫)。朝鮮総連元幹部の韓光熙(ハン・グァンヒ)氏が1960年代後半から数年かけて、全国38カ所に定めた接線ポイントについて記している。日本の漁船に偽装した小型船が海岸から数十メートル沖に停泊し、船内に積んだゴムボートなどで日本に上陸したと明かしている。陸側で出迎える手引き役と会うことを「接線」、密出入国のための着岸地点を「接線ポイント」と呼んでいた。

 接線ポイントの地図が載っているが、詳細な場所までは書かれていない。工作員が上陸する地点は、韓氏が定めたものを含め全国で100カ所以上あったという。韓氏が言及している38カ所のうち県内は6カ所。うち半分は佐渡市内で、「黒姫」「藻浦崎」「宿根木(新谷岬)」。その3カ所を2023年12月に訪れた。

 島を歩いて驚いたのは、宿根木の新谷岬の入り江を見た時だった。77年9月に石川県能都町(現能登町)で東京都三鷹市役所の警備員、久米裕さん(当時52歳)が船で迎えに来た工作員に引き渡された「宇出津(うしつ)事件」の現場海岸と雰囲気が似ていたからだ。

 石川県で勤務していたころ、県警本部長の視察に同行したことがある。久米さんが連れ出された海岸は崖を下りた先にある入り江で、波が穏やかなこと、木々に覆われて人目につきにくい特徴などから「舟隠し」と呼ばれていた。

 新谷岬の入り江も崖の下にあり、夜になれば周囲の岩や木などで人の目が届きにくい。訪れた日は冬季のため高波の危険から岩場の遊歩道は閉鎖されていたが、風雨で外海が荒れている中でも、入り江は驚くほど波が穏やかだった。ここならゴムボートなどで工作員が上陸しやすいと感じた。

 実際に72年3月、宿根木の岩場で朝鮮籍の2人の男が潜んでいるのが発見され、うち1人は外国人登録証を持っておらず、外国人登録法違反の疑いで県警に逮捕された。男は密出国の工作船を待っていたところだったという。

 韓氏は著書で工作員の上陸に適した土地について、岩場や木が多い▽時化(しけ)に備えて近くに砂浜がある▽次の行動を起こすのに便利な道路やバス停に近い――ことを挙げている。

 黒姫にも岩場や砂浜がある入り江のような海岸があった。今まで見てきた接線ポイントと似て、近くに河口もあった。市内で78年に拉致された曽我ひとみさん(64)と母ミヨシさん(行方不明時46歳)が拉致された現場付近にも国府川があり、曽我さんは「小さな舟に乗せられ、しばらくして大きな船に乗せられた」と証言している。

 藻浦崎の海岸近くは岩場や砂浜があるものの、松林のような隠れる場所は少ない印象だった。ただ地域のランドマークになっている二つの岩、「竜王(ごん)(権)岩」と「観音(堂)岩」が目を引いた。接線ポイントを取材していると、土地勘がない北朝鮮の工作員が上陸地点を見つけやすいようにするためか、目印になるものがあることが多い。

 市によると、藻浦崎付近は8世紀の奈良期、中国東北部などにあった渤海(ぼっかい)国が日本に派遣した使節(渤海使)が着いた場所とされる。郷土史に「後背山地には佐渡最高峰の北山(金北山)があり、海上より遠くながめられ、長く突出した岬は陸地を知るによい目標となった」と記されていた。

 近くに住む漁師の中浜憲一さん(76)は「子供の時から歩いていた海岸が上陸地点されていたとは知らなかった」と驚いていた。数年前に付近で北朝鮮の木造船が漂着し、浜辺で遺体を見つけたことがあるといい「潮の流れで着岸しやすい場所なのだろうか」と首をひねった。

 佐渡市の渡辺竜五市長(58)は、新潟市中央区で77年11月に拉致された横田めぐみさん(行方不明時13歳)と同じ学年。翌78年8月には佐渡で曽我さん親子が拉致された。「おばから『昔は佐渡で神隠しがよくあった』と言われて育ってきたが、僕らが子どもの頃、北朝鮮の工作員が近くにいた。僕らが拉致されても不思議ではなかったが、そのことを当時は知らずに過ごしてきた」と振り返る。【中津川甫】

※第2回は4日10時に掲載します。

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