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桐島容疑者名乗る人物、建設関係の仕事従事 保険証なく自費診療


 1974~75年の連続企業爆破事件のうち一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーの桐島聡容疑者(70)とみられる男性が神奈川県内で建設関係の仕事に就いていたことが、捜査関係者への取材で判明した。本人しか知り得ない情報を話しているといい、警視庁公安部は桐島容疑者本人の可能性が高いとみているが、県内の病院に入院中で重篤な状態という。公安部は任意で調べを進める方針。

 捜査関係者によると、桐島容疑者とみられる男性は職場の同僚に付き添われ、来院した。入院したのは1月に入ってからで、健康保険証や運転免許証など身分を示す物は所持しておらず、自費で診療を受けているとみられる。

 男性は当初、違う名前を名乗っていたが、25日に桐島容疑者本人と認める話を病院関係者にしたという。その際に「最期は本名で迎えたい」と話していたとの情報もある。警視庁公安部がDNA型鑑定などで確認を進めているが、少なくとも数日はかかる見通し。

 東アジア反日武装戦線は反帝国主義や反植民地主義を掲げ、74年8月~75年5月、三菱重工業など旧財閥系やゼネコンなど海外進出する日本企業を標的に連続爆破事件を起こし、計12事件で8人が死亡して多数の重軽傷者が出た。桐島容疑者は75年4月18日夜、東京都中央区銀座7のビル5階にあった韓国産業経済研究所の入り口ドアに手製爆弾1個を仕掛け、翌19日未明、時限装置で爆発させたとして指名手配されている。

 広島県出身で、事件当時は明治学院大の学生だった桐島容疑者。広島県尾道市にある高校の同窓生らは当時の印象を「真面目で普通の青年だった」と話す。

 クラスメートだった女性(70)によると、当時は高校生もデモやストライキに参加する世相だったが、桐島容疑者はそういったグループに属していなかったという。女性は「柔らかい雰囲気だったので、指名手配されたと聞いたときは本当に驚いた。本人だとすれば、50年間もどうやって暮らしていたのか」と話した。

 同学年の男性(70)は高校卒業後、東京都内で桐島容疑者と偶然会った。広島時代と見た目も変わらず、「元気にしているか」などと世間話をしたという。男性は「同級生の間でも『もう亡くなったのでは』と話していた。名乗り出たのだとすれば、思うところがあったのだろう」と語った。

 一方、一連の事件に巻き込まれた関係者からは、容疑者本人の口から真相が語られることを望む声が上がった。

 74年8月の三菱重工本社ビル爆破事件では8人が死亡し、多数の負傷者が出た。重傷を負った石渡林太郎さん(2014年に85歳で死去)の妻幸子さん(89)は26日、毎日新聞の取材に「もし容疑者本人なら、こんな理不尽な事件に関わった理由を自らの口で語り、被害者に謝罪してほしい」と語った。

 林太郎さんは事件当時、三菱重工とは別の会社に勤めていたが、会議のために訪れていたビルで事件に巻き込まれた。ガラスの破片が全身に突き刺さり、爆風で片耳にも大けがをした。一命は取り留めたものの、ガラス除去のための手術を数年にわたり繰り返すことになった。幸子さんは「治療後も全身に傷が残っていた」と明かす。

 林太郎さんは生前、事件を振り返ったり、憤ったりする姿を周囲にはほとんど見せなかったという。

 幸子さんはテレビニュースで、桐島容疑者とみられる人物の存在を知った。「日本にはもういないとさえ思っていたので、生きて潜んでいたとすれば驚き。本人であるならば、罪を償ってほしい」と話した。【木下翔太郎、柿崎誠、木原真希、山口智】

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