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祖父、父、娘3代の警察官 世代を超えて受け継がれる言葉


 警視庁が創設150年を迎えた。その警視庁に祖父、父、娘の3代にわたって警察官を務めてきた一家がある。交番や生活安全部門などで職務を果たしてきた3人の間には、世代を越えて受け継がれてきた言葉がある。

父の背中を見て警察官に

 「精いっぱい寄り添おう」。交番で体を震わせる10代の少女を前に、田無署地域課の大網菜央巡査(21)はそう思った。

 2022年秋のある夜。交番に少女が駆け込んできた。両親が物を投げるなどのけんかをしており、「面前DV(ドメスティックバイオレンス)」の恐れがあった。少女は「自分にも飛んできそうで怖い」とおびえた。

 警察署を通じて児童相談所に引き継ぐまでの数時間、大網巡査は少女の話に耳を傾けた。思い出していたのは、警察官の父から聞いた「おまえしかできないことをやりなさい」という言葉だった。自分の妹に接するように話すと、少女の口数が増え、最後に別れる際には「ありがとう」と言ってくれた。

 大網巡査が警察官になったのは、警視庁本部の生活安全総務課に勤める父、風間秀和警視(49)の背中を見て育ったからだ。父は家で仕事の話をすることはあまりなかったが、時間があれば警察関連の本を読んだり、体を鍛えたりしていた。

父の転機は地下鉄サリン事件

 大網巡査が大切にする風間警視の言葉は、風間警視が警視庁に入った27年前、父の功さん(77)からもらった助言と同じものだ。

 功さんも警視庁の警察官だった。1971年に入庁。複数の警察署勤務などをし、2006年に退職した。

 学生のころの風間警視は警察官の仕事に興味はなかった。転機は1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件だった。

 当時、万世橋署員だった功さんは、被害者が多い霞ケ関駅と近隣の病院との間を患者の搬送で何度も往復した。母親からそれを聞いた風間警視は「働くことは、お金のためではない」と思った。父のように身を投じる警察官の姿をテレビで見て、同じ仕事に就くと決めた。働き始めるとき、功さんは「失敗を恐れず頑張ってこい」と送り出してくれた。

 風間警視が現在携わる生活安全部門は、防犯対策など住民の協力無しには進まない。上野署生活安全課長だった2020年4月は、新型コロナウイルス禍で緊急事態宣言が発令された。街は閑散とし、商店での空き巣などの増加が懸念された。

 この時、地元町会などがパトロール隊をつくり、率先して地域を巡回した。「当時、大きな犯罪被害がなかったのは、地域の方々が自分たちの街を守ってくれたおかげ」と振り返る。

 風間警視は娘のこれからの活躍を思い、目を細める。「子どもや女性ら社会的弱者に寄り添える女性警察官の力が現場でより必要になっている」と期待する。大網巡査は「警視庁が歴史を積むことができたのは先輩の努力と住民の支えがあってのこと。私も良き伝統を継承しつつ、都民の安心と安全を守っていきたい」と力を込めた。【加藤昌平】

警視庁とは 4万人態勢、全国警察リード

 警視庁は1874(明治7)年に「東京警視庁」として創設された。首都警察の機能のほか、国内最大の警察組織として全国の警察をリードしてきた。

 大正の1918年にはオートバイ(当時は「赤バイ」、36年から「白バイ」)による交通指導と取り締まりを開始。46年には女性警察官の採用を始めた。また、60年の安保闘争警備や世田谷一家殺害事件(2000年)など耳目を集めた出来事や事件の警備、捜査などにあたってきた。

 庁舎は創設当時、鍛冶橋にあり、その後、日比谷や馬場先門などに移った。桜田門になったのは昭和初期の1931年で、現在の庁舎になったのは80年。

 2023年12月時点で警察官は4万3566人、警察行政職員は3015人。102の警察署、825の交番があり、パトカー1292台、白バイ958台などを運用している。【町田徳丈】

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